俺論

・防犯

・近所の人と擦れ違ったら挨拶をしよう。
・自治会を中心に近所をパトロールしよう。

犯罪に対して、
我々が取る行動は単純に110番して、
警察を呼ぶというのが一般的です。

しかし、
防犯を未然に防ぐ「防犯」であるならば、
私達ができる事もあります。

近所の人と挨拶を交わすだけでも、
立派な防犯になり得るのです。

普通は
防犯のために
挨拶をする人は珍しいかもしれませんが、
犯罪者からすると、
お互いに
挨拶をし合う町と挨拶をしない町だと、
挨拶をしない町の方が、
犯罪をしやすいそうです。

昔の日本では、
玄関に鍵を掛けなかったり、
窓を開けっぱなしで、
外出をしていたものでした。

それが当たり前の世の中でした。

現在は、
外出をする時は、
ドアも窓も
鍵を掛けるのが常識になっています。

どちらの世界の方が
住みやすい世の中でしょうか。

自分は外出する時には
必ず鍵を掛けます。

しかし、
鍵を掛けないで
外出できるような世の中に憬れを抱きます。

現代日本の家の中で
家族間で
部屋に鍵を掛けたりする事は
そう多くはないでしょうが、
今後は
家族間でも
鍵を掛けたりする事も少しずつ認知される事も、
不思議ではないでしょう。

昔在った
町ぐるみの<安心・安全・信頼>が保てる地域共同体が崩壊してきて、
現在の、
それが保持できている境界線は
家族としての共同体まで狭まってきており、
その境界線が
個人まで侵蝕されている状況も発生しているでしょう。

この際、
性善説と性悪説の優劣の議論はさて置いといて、
日本独特の性善説の流れから、
アングロサクソンの性悪説という考え方に
緩やかに支配されてきています。

お金を掛けて、
鍵を頑丈にして、
監視カメラや警報機を取り付けて、
セキュリティを万全にする事は可能です。

しかし、
世の中から
犯罪者を無くす事は不可能だと思います。

犯罪者が存在するからこそ、
セキュリティー商品が存在してもいえます。

現代日本ですから、
鍵を掛けての外出なんて同然だと思います。

しかし、
鍵をかけて、
セキュリテイをガチガチにしてさえいれば、
いいんだという考え方も、
なにか寂しい気もします。

昔: 鍵なんて掛けない。玄関も窓も開けっ放し。
   
   だって、
   盗る人なんて周りにいないもん。

今: 鍵は絶対掛ける。 セキュリティ万全。 エヘン。

   だって、
   鍵掛けないなんて誰か盗みに入るかもしれないし、
   てゆうか、鍵掛けないなんてバカでしょ。

   どんな輩がいるかわかったもんじゃないし、自己責任でしょ。
   俺は安心だぜ。

   だって、個人でセキュリティ対策万全やってっから。


セキュリティを万全にできるのは、一部の金持ちだけ。

国民全員が安心・安全を得るには
地域共同体で犯罪者を出さないような社会にする必要がある。

例えば、
小さい頃からコミュニケーションを取って、
近所の子供が非行に走るのを抑止したり、
防犯パトロールをやったり、
祭りなどの地域の行事に参加して顔見知りになったり、
様々あると思います。

そんなのメンドクセーって人は、
近所の人と擦れ違ったりしたときに、
挨拶する程度でもイイと思います。

犯罪なんてものは
全く知らない他人になら実行できても、
気に入らない奴は例外として、
ちょっとでも顔見知りの人には実行し難いものです。

皆さん一人ひとりが
できる範囲でいいから
少しずつ住みよい社会に変えるようにすれば、
きっと素敵な社会に変化していくと思います。

そうは言っても、
やはりいざ何かやるとなると、
ちょっとできないって事、場面、あると思います。
だとしても、
この事が頭にあるのとないのとでは、
雲泥の差だと思います。

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