俺論

・ノーベル平和賞の代わる、出来るだけ純粋な平和賞を新たに作る

俺は人に評価されたくて生きている訳ではないので、
ノーベル賞なんか別にって感じだが、
とはいえ、
受賞されないよりは受賞された方がいいという現金な所はある。

俺ですら、こうなんだから、
今やノーベル賞は、
世界的に最も名誉ある賞と言っても過言ではないだろう。

2010年、
支那人(中国人)がノーベル平和賞を受賞した。

授賞理由は、

「支那(中国)における基本的人権のために長年、非暴力的な闘いをしてきた」

という事らしい。

その前提として、
西洋の民主主義が絶対だという一方的な価値観がある。

最低限の人権は守られるべきであるが、そのさじ加減は難しい。

人権を盾に権利を要求しようとする輩も居る。

人権至上主義になり過ぎるのは、
それはそれで俺は絶対的に正しいとは思わない。

価値観や文化などは様々だし、
それが一方の尺度ではかられたり、押しつけられたりするものではない。

なので、
支那が怒るのも無理はないというのも理解できる。

支那からすれば、大きなお世話で、
テロリストがノーベル平和賞を受賞したわけなんだから。

尖閣諸島事件があり、
このタイミングでノーベル平和賞を授賞したのは、
支那に対して何らかのメッセージではないかと多少期待する気持ちが
日本人の俺としてはあるものの、
それで動じる玉じゃないけどね、支那はね。

それに、
そんな事で、
尖閣諸島事件での、
俺の溜飲は下がらないしね。
根本的な解決に到らないとさ。

ノーベル賞は政治などから完全に切り離すべきだと俺は思う。

ノーベル賞の授賞選考自体、
世界各国1人ずつ選んで、
平等に民主的に投票で決定しているわけでない。

そういう中で、
平和賞を選考するのは、いささか疑問だし、
正義や平和の価値観なんて、
一方が単純に決められるものではない。

それなのに、
ノーベル平和賞を使って、
これが平和です。だからこうしましょう。
って押しつけるのはエゴじゃないか。

それが良い影響を与える場合もあるだろうし、
悪い影響を与える事もあるだろう。

ガンジーさんとか
マザーテレサさんとか、
マンデラさんとかなら、俺も良いと思うよ。

マンデラさんの場合は人種差別やん。
国の方針云々以前に、
俺は人種差別は万国共通でアカンと思うし、
でも、
今回の場合は、
人種的な差別ではない。

もちろん、
俺も支那のやり方がイイとは言わないけど、
西洋からの偏見に過ぎないし、
それを強要するようなメッセージ性の授賞はよくないと思う。

我が家のルールってもんがあるわけじゃないですか。
それをね、
子供が友達んちにお泊りに行って、
友達んちはこうだったから、
うちも、こうしてくれって無理を言ってきたらどうします?
うちはこういう方針だから、
よそのうちはよそのうち、
うちはうち、だからと、子供に言うでしょ。

そしたら、
友達んちの親が出てきて口を出してきたら、
なんなん?ってなるでしょ。

そこまで言われる筋合いはないんですけどって感じでしょ。

ダライラマさんの授賞は正しいと思うよ。
チベットは支那のものではないのに、
支那が一方的に侵略してきて、
ダライラマさんは
平和裏に解決しようと活動してきたという事で、
俺は受賞して当然だとは思う。

今回とは全く別。

仮に日本で言えば、
戦前の時期に、
戦前の皇室を廃止すべきだという活動を繰り返す男を
大日本帝国の警察が逮捕したら、
その男にノーベル平和賞が受賞されたようなもの。

別にさ、
居なかったら、
授賞者無しだっていいんだからね。

政治的なのに利用されて、
きな臭い感じであれば、
いっその事、ノーベル平和賞は廃止にした方がいい。

今回のノーベル平和賞はどうかなって思うし、
前回のオバマさんもそう。

どうも、政治が密接しているというかね。

化学賞とかさ何十年前の研究が今になって、受賞って事じゃん。

オバマさんなんて、まだ産まれたてですやん。
まだホヤホヤですやん。

いささか早くないですか?

マンデラさんは27年間の獄中生活を経て、ですよ。

オバマさんを授賞するから、
アメリカさん上手くやってくれよ的なメッセージ性があるように思える。

日本だってさ、
佐藤さんが平和賞もらってるけど、
そういうイメージがないからね。。
うーん、って感じだよね。

それだったら、
窓際トットちゃん、あげた方が、いいわ。
当たり障りないしね。

他にもさ、いっぱい居るぜ。
地雷除去機を開発して、
現在もなお、世界で地雷の除去に取り組んでいる、
山梨日立建機の社長をさ、
ノーベル平和賞にする、とかね。

他にもさ、
ミャンマーで、
18歳以下の治療は無料でやっている吉岡先生だとか、
中国で、
ほぼ無料で治療している101歳の山崎先生だとかね。
 
世間に知られていないけども、
名も知れず頑張ってる人いるじゃん。

どうせあげるならさ、
そっちの方が夢がありますやん。
素敵やん。

他にも
国連系で言ったらさ、
明石さんとか緒方さんとかもいるじゃん。

探せば世界でそういう人、団体、
きっと、ぎょーさん、居るやん。

そんな中で、
2010、なんで、あのオッサン?
民主化目指すオッサン。
平和賞よりもノーベル政治賞をプレゼントしたらいい。

政治的な意味合いは限りなく無くして、
万国共通して、
純粋に、
可能な限り世界皆が祝福するような
ノーベル平和賞にすべきだ。

平和賞ってそういう事でしょ。
ねえ、ノーベルさん?

ないなら、そうだ、
後藤輝樹平和賞を作ればいいか。

期待を込めて、これから頑張ってください。
的なのじゃなくて、
長年、貢献して頑張ってきた人に対してね。
日の目を見てないというかね。
日の目を見ててもいいけども。

そうだ、そうしよう。


追記

以下

皇紀2674年(西暦2014年)11月10日放送
ここがポイント!!池上彰解説塾より

女性が教育を受ける権利を主張し続けた結果、
皇紀2672年(西暦2012年)に
イスラム過激派から襲撃を受け、
重傷を負ったパキスタンの少女マララさんが、
歴代最年少の17歳で
皇紀2674年(西暦2014年)のノーベル平和賞を受賞した。

しかし、
ネット上では、
「欧米の操り人形だ」
「国民の恥だ!」という声が。

どういう事かというと、
アメリカは
皇紀2664年(西暦2004年)から
パキスタン北部に潜むイスラム過激派を撲滅するために
無人機で空爆を続けていて、
それによって、
付近の住民や子供達が
巻き添えになって亡くなっている現状がある。

パキスタン政府は
アメリカとの関係を大切にしたいので、
時々は抗議するものの
表立ってアメリカに抗議しないので、
パキスタン国民の中には不満を持つ人達が居る。

アメリカに爆撃されて、
罪の無い人達が巻き込まれている。

その空爆を正当化したいために、
マララさんがノーベル平和賞を受賞したのではと考えた人がいた。

ノーベル平和賞委員会にしてみれば、
世界の人らに、
パキスタンでは
女の子が学校で教育を受けられない現実があるという事を
知ってもらうために、
マララさんにノーベル平和賞を与えたというところがある。

ただ今回はマララさんだけじゃなく、
インド人のサティヤルティさんもノーベル平和賞を同時受賞した。

インドには
児童労働者が約4000万人以上居ると言われており、
サティヤルティさんは、
皇紀2649年(西暦1989年)に
「南アジア子供奴隷解放連合」を設立し、
学校にも行けず、働かされる子供達を救ってきた。

それらが評価されて、
サティヤルティさんはノーベル平和賞を受賞した。

今回の同時受賞には
ある思惑があるのではとの見方がある

隣り合うインドとパキスタンは
カシミール地方を巡って、60年以上続く争っている。

その争いを
何とか治められないかという思惑があるのではないかと。

マララさんとサティヤルティさんが連絡を取り合い、
ノーベル平和賞の授賞式に、
「お互いの首相を呼びましょう。」という事を言っている。

もし、
授賞式に、
お互いの首相が出席したら、
カシミールの争いをやめようって話になるかもしれない。

ノーベル平和賞というのは、
他のノーベル賞と違って、
平和にしたという実績に対して与える場合もあれば、
賞を与えることによって、
これから平和をもたらそう。という、そういう思惑もあるということ。

そんなんなので、
あげなければよかった!?ノーベル平和賞なんてのも。

北アイルランド紛争の解決のため平和活動をしていた、
北アイルランドの一般市民の女性2人が
皇紀2636年(西暦1976年)、ノーベル平和賞を受賞。

2人は
平和を実現するために
署名活動を行い、
平和組織を結成し、
和平実現に向けて活動した。

これらが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。

しかし、
ノーベル平和賞を受賞した事によって、
彼女達の生活が一変した。

ノーベル平和賞の賞金3500万円(当時)を
全く身に覚えのないところから
2人が山分けしようとしているという噂によって、
他の組織から妬まれ大喧嘩に発展も。

揉め事が続き、結局2人は活動を止めてしまった。

リーダーを失った組織は崩壊状態になってしまった。

他にも、
授賞式のスピーチでガッカリしたノーベル平和賞。

2009年に受賞したオバマ大統領。

大統領に就任した3ヶ月後のチェコのプラハで核兵器をなくしていくと演説。


このスピーチが評価され、
(核兵器廃絶の後押しする意味を込めて)
オバマ大統領はノーベル平和賞を受賞したが、
その授賞式では、
オバマ大統領は戦争の必要性を説き、牽制。

これに一同唖然。。。



ノーベル平和賞委員会の思惑通りには行かなかった。

他にも、
ノーベル平和賞を500億円で買った!?大統領。

皇紀2660年(西暦2000年)に
ノーベル平和賞を受賞した、韓国の金大中大統領。

武力より
経済援助や文化交流などの対話を重視した太陽政策で
南北融和を目指した
金大中大統領は
皇紀2660年(西暦2000年)、
平壌で歴史的会談である南北首脳会談を実現。

対北朝鮮の緊張緩和と韓国の民主主義推進が評価され、受賞。

しかし、
南北会談直前に5億ドル(500億円)を
こっそりと北朝鮮に送っていたことが後から発覚。

会談実現のためのお金といわれ、
500億円でノーベル賞を買った男と批判された。

皇紀2633年(西暦1973年)にはノーベル平和賞最大の事件があった。

それはノーベル平和賞初の受賞辞退。

この年選ばれたのは、
ベトナム戦争を終結に導いた
キッシンジャー大統領補佐官(当時)と北ベトナムのレ・ドゥク・ト政治局員(当時)

が、レさんがノーベル平和賞を辞退した。

その理由は、
アメリカが戦争を仕掛けてきて、戦争を止めたら、
ノーベル平和賞を受賞した。

戦争始めて戦争止めたら、平和賞を受賞出来るなんて、おかしい。
また、ベトナムは平和になったわけではない。
との事。

今まで平和賞辞退はこの1回だけ。

意外な事だが、
暴力に頼らずにインドを平和的に独立に導いたガンジーさんは、
ノーベル平和賞を受賞していない。

ガンジーさん、実はノーベル平和賞に5回も候補になっていたが、全て落選。

ガンジーさんのインドは
イギリスから独立しようと活動していた。

インドを長年、植民地支配しているイギリスからしてみれば
ガンジーさんの行動は面白いものではない。

第二次世界大戦中、
ノルウェー、スウェーデンはナチスドイツに占領されていた事から、
国王がイギリスに亡命していて、
イギリスに助けてもらっている立場で、
イギリスに逆らっている人(ガンジー)にノーベル平和賞を与えるのは。。。

イギリスに遠慮したのではないかとされている。

皇紀2599年(西暦1939年)には、ヒトラーさんが候補になっていた。

ヒトラーさんにノーベル平和賞を与えてしまえば、
戦争を始められないだろうという思惑があったとされる。

環境や経済の分野でもノーベル平和賞受賞もある。

例えば、環境だと、
砂漠が広がると食料や水が不足する。
そうなると争いが起こる。
地球環境問題に取り組む事が新たな紛争を防止する事にもなる。

こういう理由でノーベル平和賞が受賞されたりもする。

皇紀2666年(西暦2006年)には
貧しい人にお金を貸す仕組みを作った
グラミン銀行がノーベル平和賞を受賞した。

貧しい事から戦争が起きる。
経済的に自立し、貧困から脱出出来れば、平和になるのではないか。
紛争を事前に防ぐ事になるのではないか。
こういう考え方から、
貧困を無くそうという人達に対して、ノーベル平和賞を与える、と。

ノーベル物理学賞とかノーベル化学賞とかは、
若い頃の研究が何十年も経って、
これは間違いないって時に受賞するが、
ノーベル平和賞は
今まさに活動している人に対して与えたりするので、
あとで結果的に間違いって起こったりもするし、
リアルタイムで与えるわけだから、
その時々のノーベル平和賞委員会の思惑もあるという事を知っておきたい。



いくつかのノーベル平和賞の事例をみていると、
ノーベル平和賞の限界や欠陥、綻びが垣間見えてくる。

例えば、
正直、マララさんなんて
ヒューマニズムやセンチメントを出しにして、
プロパガンダとして政治利用されてる節はある。

意図的にそうなった面もあるだろうし、
自然にそうなっていった面もあるだろう。

ほんと、ノーベル平和賞というよりもノーベル政治賞だね。

だって、
女性が教育を受けてないから争いが起こるなんて理屈は、
そんなのデタラメで、理由にならない。

現にアメリカなんて、
女性が教育受けてるのに、
世界で一番争いをしてるじゃないか。

アメリカなんて一番平和じゃないじゃないか。

環境が原因?
経済が原因?

そりゃ、人が揉めるのに、原因なんて挙げれば切りがない。
沢山あるわ。

つまり、
ノーベル平和賞委員会が、
さも正当にさ、こじつければ、
何でも誰でもノーベル平和賞を受賞出来るわけ。

それでね、
政治的な思惑があるのだとして、
印象操作、世論操作されるのだとすれば、ゾッとするわ。

だから、
俺が言いたいのは、
ノーベル平和賞を受賞したから、
この人、平和なんだと思うのではなく、決めつけるのではなく、
それは所詮一つの見解で、
また別の見解だってあるという事を頭の片隅に入れておく事。

ノーベル平和賞が絶対ではなくて、考え方の一つとして捉えておく事。

そうしておかないと物事の真理が見えなくなってくるからね。

他のノーベル賞は別として、
ノーベル平和賞なんて
学生の何とかコンテストが拡大したようなもんと捉えておけばいい。

そう思えば、ノーベル平和賞が絶対的だなんて思わないだろ。

ノーベル平和賞は歴史があって権威があって規模が世界最大ってなだけ。

ノーベル平和賞は
民主化や女性のなんたら~とか貧困とか、
そういうのを良しとしてるけどさ、
先ほども言うたけども、
アメリカなんて一番戦争してるわけじゃん。

その価値観で、平和がなんたら言われても困るし、
ましてや政治的な思惑なんかが絡んだら、
絶対、アカン事やん。

独裁で貧困でも平和なところもあるわけじゃん。

だから、
出来るだけ政治的な思惑を無しにして、
ニュートラルな平和賞が望ましいと俺は思うわけ。

それが無いんなら、作るしかないね。

後藤輝樹平和賞をね。

んー、それしかないかー。

うーん、仕方ないかなぁ。

あ、
国連でさ、
平和賞作っちゃえばいいんじゃない。
国連平和賞っての。

それだったら後藤輝樹平和賞作らなくても済むじゃん。

あ、でも、やるヤツ居ないんだろうなぁ。

だから俺が作るしかないんだろうなぁ。

もーう、しょうがないんだよなぁ。

だって、
純粋に、
平和のために頑張ってる人応援したいじゃん。
誰かに評価されたいとかじゃなくてさ、ただただ、マジでやってる人をさ。

ま、
別に国連じゃなくてもいいし。
無いなら後藤輝樹平和賞でもいいしさ。
とにかく、
政治的な思惑とか極力入ってない平和賞をさ。
やろうぜ。
ノーベル平和賞の代わりによ。

あ、てか、そういえば、
憲法9条がノーベル平和賞なんたらって話があったけども、
憲法9条がノーベル平和賞になったら、
お前ふざけんな!ってなるよ。ワシは。

アメリカの日本侵略を肯定する事になんじゃん。

まだ、日本人が自分達で考えて作ったならまだしも、
アメリカの押しつけ憲法なわけだからね。

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