俺論

・一生懸命やる意義。

それは
自分自身の存在証明のために
あると
思う。

少なくとも
主観的にでも
一生懸命やっていれば、
言い訳が付く。

格好が付く。

「あの時、あの頃は、どうだった?」

聞かれても、

その時に、

その頃に、

一所懸命に生きていれば、
胸を張って答える事ができる。

過去においての
自分の存在を
堂々と主張する事ができる。

でも、
本当はこうしたいのに、
勇気がなくて、

一所懸命に立ち向かわないで、
逃げてしまっていては、

過去の自分を
胸張って主張できない。

よりグレイトな自分の痕跡を
今生に残すため、

自分自身の存在を

自分に、

何かに、

証明するために、

一生懸命立ち向かい、生きる意義がある。

誰だって、
過去を振り返り、
良い思い出ばかりではないかもしれない。

俺は
大きな後悔はほとんどないけども、
もっと若いときに
勉強しておけば良かっただとか、
遊んでおけば良かっただとか、
こうしていればよかったなぁなんて話は
一般的に、
よくある話だ。

手を抜いて生きてきた時もあるだろうし、
常に一所懸命に生きなくてもよいとも思う。

でも、
もし今、
一生懸命に頑張れば、

成果がどうであれ、

未来の自分が、
過去を振り返った時に、

自分の存在を胸を張って
主張する事ができる。

俺は俺らしく生きた!
と。

ま、
過去を肯定するために
一所懸命に生きるっつうか、

現在から未来に、
より良い未来に繋ぐために
一生懸命になるっつうかね。

実存主義についての大学受験の評論文か何かで、
過去現在未来は連綿と続いているもので、

過去、現在、未来と切り離して
自分の都合よく使い分けるのはズルイ(し、そんな事は出来ないんだ)みたいな
事が書いてありましたけど。
(過去、現在、未来は繋がっているのだから、
考えを悔い改めたとしても、
現在の自分は、過去の業を背負っているのだから、
未来の自分は、過去、現在に連なっているわけだから、
都合良く切り替えるのは、、、みたいなね。)

俺からしてみれば、
んなもんどうでもよくて、
何度でもやり直せるし、
気付いた時に やればいんだよ。

気付いた時が、お前の最高最速な時なわけで、
気付いた時点で、やり直せばいい。
そこが最速なわけなんだから。

てか、
過去、現在、未来、別々に考えたっていい。

ブチブチにブチ切ったって、構わない。

過去の過ちを
過去の何かを気にして、
前に進めないよりは、断然マシだ!

ズルくたって何だっていい。

過去がどうであれ、
未来を変えるのは、
今現在のお前がマジに生きるしかない。
一生懸命やるしかない。

一生懸命やったなら、
未来のお前は、結果的に、過去のお前を許せるかもしれない。
少なくとも、手を抜いて生きるお前よりも、許せるだろうよ。
そんとき可能なら、
ブチ切った過去も未来も後から繋げちまえばいい。

今、やらないと、どうにもならんけども、
今、やれば、どうにかなるかもしれんのだよ。

だからこそ、今、一生懸命に生きる意義がある。

過去のお前も、
未来の不安も、関係ねえ。クソ喰らえだ。

グダグダ文句を言うヤツ居たら、ぶっ飛ばせ。

お前が正しいと思った道を、今、一生懸命に生きろ!

そうすれば、過去も未来も現在も、全てが救われる。
(はずだ。と俺は思う。)

自分を信じて、今を生きろ!
(というルルーシュのギアスを君にかけたぞよ。)

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