皇暦2677年(西暦2017年) 東京都議会議員選挙

・安楽死について。

人間、別に長生きなんて、しなくてもいい。

もちろん、
長生きしたいなら、長生きをすればいい。
それは自由です。

正直言えば、俺は、もう人生に満足をしている。

と、同時に、
正直、俺は、もう人生に絶望もしている。

だから、もう、いつ死んでもいいかな、とも思う。

それで、どうせ死ぬくらいなら、
世の中に恩返し、貢献しようと思い、俺は選挙に立候補し続けている。

話が逸れるので、戻します。

死ぬとか、自殺とか、
それ自体を否定する人は少なくないと思う。
とにかく死は悪、
とにかく自殺はダメ、と。

でも、なぜ、ダメなんだろう?

人間は、生まれてから、
皆が皆、平等に、ここだけは確実に平等に、
死に向かって、生きているにもかかわらず、だ。

人間は、死ぬために、生きているにも、かかわらず、だ。

どうして、死は悪なのか、
どうして、自殺はダメなのか、
について、
身も蓋もない説明をすれば、
人間が死んでしまえば、人間社会が成立しなくなってしまうから。
簡単に言えば、それに尽きます。
あとは、そこに、色々と肉付けしてくだけの話です。
おまえが死んだら悲しい、つらい、とか、色々あまた、ね。

まあ、これら諸々の細かい話は、
輝樹教の教え等を読んでください、話が長くなるので。

安楽死の話に戻ります。

で、これ、読んでる人の中には、
安楽死を制度化するとか言うんだったら、
勝手に自殺しろや。と思う人が居るかもしれません。

でも、僕自身、自殺するにあたり、
色々とシミュレーションをした結果、
自殺をするというのは、かなり難しいという結論に至りました。

もちろん、
ただ単に自殺する事は、さほど難しくないかとは思います。

何が難しいかと言えば、
周囲に迷惑をかけずに自殺するという事が至難の業なのです。

自殺の難しさについても、
詳細は過去に綴っていますので、
適当に探して、それを読んでください。

安楽死に話を戻します。

少し、例を言えば、
自殺をすれば、家族や知人など周囲の人間にも迷惑をかけます。
賃貸している自宅で首をくくれば、大家さんにも迷惑をかけます。
ともかく、自殺は迷惑をかけます。

だから、僕は、中々死ねないのです。

でも、安楽死が合法化されれば、どうでしょう。

迷惑をかけずに、自殺をする事が理論上、可能になります。

もちろん、
なんでもかんでも、
安楽死OKとしてしまえば、
人間社会が破綻してしまうので、
それは認められませんが、
例えば、ご褒美として、安楽死を提供するというのは、どうでしょうか。
例えばですが、
定年まで頑張ったから、
以後は、安楽死できる権利を取得しました、みたいな。

頑張った人だけが、安楽死できる、と。
頑張れば、老後に、楽に楽しく死ねるという安全保障が欲しくありませんか。

考えてみてください。
歳を取って、健康的で楽しく人生を謳歌できるならまだしも、
全ての人が、そうという訳では、ございません。

自分で生活もできない。
一日中寝たきり。
自分でご飯も食べれない。
ご飯は、栄養を管で通して、
体の中に注入して、なんとか生命を保持している。
家族にも迷惑をかける。
自分のしたい事もできない。
もし、僕だったら、もう楽にさせて、くれ。。。と思います。

僕はピンピンコロリで死にたいので、
延命治療とか、絶対に嫌です。

それだったら、安楽死、したいです。

安楽死と自殺の違いは、
迷惑をかけない、
かつ、
周囲や世間の同意を得、
かつ、
違法で無い、かどうかという事です。

つまり、自殺はダメだけど、安楽死は、いいよね。と、すればいいのです。
安楽死は、社会的に認められてる事、と。

なので、
もし、安楽死を合法化した場合、
各種諸条件をクリアする必要性はあります。

若くして死なれて、困るので、
例えば、何歳以下は安楽死はダメとか。
あと、病気や怪我で生きるのが大変という場合に安楽死が認められるとか。
あと、家族等周囲の人の合意が得られないと安楽死はダメとか。

安らかに眠りながら死ぬ、みたいな形を安楽死として目指したいですが、
この場合なら、
首をくくるという形の自殺では無いので、大家さんに迷惑もかけません。
電車に飛び込んだり、
ビルから飛び降りたりする訳じゃないので、これまた迷惑をかけません。

迷惑をかけるとしたら、
死ぬ事で家族等に精神的ダメージを与えてしまう事に尽きます。

なので、
家族等を説得できなければ、安楽死は出来ない風にします。

で、もし、安楽死する場合は、
安楽死パーティー、生前祭、生前葬を、やります。

お金は国や自治体が出すので、無料で出来ます。

財源は、安楽死する事で負担が減る医療費や介護費から捻出します。

ホテルの会場を貸し切って盛大にやってもいいし、
地球一周クルーズなんかしてもいいですし、
リクエストには、予算の範囲内で、対応できるようにします。
で、万が一、
やっぱ死にたくないってなった時は、
安楽死をキャンセルすればいいのです。

ただ、その場合、
生前祭等でかかった費用は全額自己負担という事にはさせて頂きます。

僕的には、
突然ね、容態が悪化して、亡くなられるよりも、
自分のペース、自分の意思で、死ぬ期日を決めたいです。
死ぬ期日を決めて、その日に向けて、
色々な人と会ったり、お話したりして、お別れしたい、ですよ。
僕ならね。
事故死とか、非業の死とかで、お別れもできないとか、しょんぼり、ですよ。

まあ、これは個人の自由なので、
老衰とかガンとかで自然に死ぬというのを選択するのも、
個人の自由です。

俺は、そういった不確かな死を待つよりも、
自分の意志で、死にたいです。

でも、現状、現実は、自殺しか、ありません。
合法的に死ねないから、自殺が存在してしまう面はあるかと思います。

現状、どんなに頑張っても安楽死できない。

だったら、今、多少迷惑かけても、
自殺しちゃえばいい、という思考になるのは不思議な事では無いです。

年間、3万人くらい自殺者が居ます。
おそらく、この数字に現れていない自殺というのもあるかと思いますので、
実際は、もっと多いと思います。

10年間で考えれば、30万人ですよ。

1つの街が消滅してるに等しいです。

僕は、この現状を酷く嘆いています。

どうせ死ぬのなら、死ぬ気で頑張ってほしいと僕は思います。
僕は、そういう考え方です。

なので、僕は命をかけて生きていますし、
毎回、命をかけて、選挙に立候補しています。

自殺者の事を考えるたびに、もったいないな。。と思わざるを得ません。

自殺するくらいなら、俺と一緒に頑張ろうぜ、と。
自殺なんてしたいと思わない世の中に一緒にしようぜ、と。

自殺したいという一方で僕は、そういう風にも考えています。

もし僕が安楽死の法整備を整えたら、
逆に自殺はできないような社会にしようとは思います。

自殺をさせたくないので。

少なくとも、自殺されて、いきなり死なれるよりかは、
安楽死のほうが、まだマシなはずです。
自殺防止のために、
自殺をしたら、家族が罰せられますよ、とか、そういうのがあってもいいと思います。
自殺はさせない。でも、そのかわり、頑張ったら、
快適に合法的に、安楽死できる権利を得られる社会にします。

僕は、人間、長生きさえすれば、いい。なんて思いません。
長さよりも、質だと思います。

生きている事が善で、死ぬ事は悪という考え方だけが正解では、無いと思っています。
偽善的に、感情的に、死んじゃダメなんて、押しつけ決めつけはウンザリです。

生き様や死に方の答えは1つではありません。
正解は人それぞれ。
それは自分の意志で決める事だと思います。

そのような意志が多様に反映され、選択できる社会にできれば、と思います。

ページ上に戻る

inserted by FC2 system
inserted by FC2 system