輝樹教の教え

・生きる意味を考えるのではなく、自分が生かされている意味を考えよ。


なぜ自分は生きるのかではなく、
なぜ自分は生かされているのか?を考えなさい。

自分が生きている意味ではなく、
自分が生かされている意味はなんだ?

というのを考えなさい。

生きるというのは、
自分が主体的になって生きるという事だと思うのですが、

今の日本の現代社会であっても、人間は一人では生きられません。

周りの支えがあって、
人間は生きる事が出来るのです。

それに世の中に恵まれない人達もいるでしょうし、
事故や病気や災害、戦争などで亡くなってしまう方だって居ます。

そういう中で、自分は生きているのです。

いや、生かされているのです。

そう考えると、正直、自分は、幸運な方だと思うんです。

僕の場合、
割と、好き勝手やりたい事やってきたのにもかかわらず、
基本、大きな不幸もなく、基本、幸せです。

本当に不思議です。

これは、
自分が凄いとかそういう事ではなくて、
きっと、
自分が今、生かされているには、
それなりの理由があると思うんです。

僕がまだ世の中で務めを果たしてないので、
お天道様がまだ僕を生かしているのだと思います。

お前は、まだ役目を終えていない、と。

まだ、楽させんぞ、と。

その役割は、
各人、各々で見つけるものなんだと思います。

それを見つける歩みが人生なんだと思います。

自分で見つけろ、と。

もし、苦しみや辛さがあるのなら、
それは、自身への課題、試練なのです。

修行だと思えば、いいのです。

苦しいとか辛いとかで、人は死にません。

自殺であれ、事故死であれ何であれ、
まだ死ねずに、
今、生きているという事は、
まだ、世の中に、生かされているという事なんです。

きっと、その役目を終えた時に人は死にます。

なので、幸せの絶頂だとしても、人間、死ぬ時は死にます。

今、苦しくとも、
死んでないというのは、
まだ生きる役目があるという事なのです。

まだ、頑張れるという事です。

今、幸せであろうとも不幸であろうとも、
今、生かされて、
今、生きている事が、試練であり、修行なのです。

日々の、その試練や修行の先に、
自分が果たす使命、役割が、きっと、あるのだと思います。

道半ばに見えたとしても、
人は務めを果たした時に、
死ぬようになっているのだと思います。

なので、
成功しようが失敗しようが、日々、精進すればいいだけ。

今、自分が生きているのは、自分の努力の結果ではありません。

周りの人の支え、
自然環境、社会、国家、
ありとあらゆるものの支えによって、生命は生かされているに過ぎません。

そして、
今、自分が
生かされているのには、
人それぞれ、必ず理由があります。

それを果たすのが、あなたの生きる意味です。

生かされているのは、まだ生きろという事。

悩む必要も、苦しむ必要もありません。

今、あなたがすべき事を、すればよいのですから。

ページ上に戻る

inserted by FC2 system
inserted by FC2 system