輝樹教の教え

・歳を取っても、尖っていろ。

人間、生きていれば、
大人になるというか、
成長するというか、
考え方が変わる事は、よくある事です。

それ自体は悪くないと思うんです。

考え方が変わって、
その人らしく無くなってもいいと思うんです。

尖ってさえ、いれば、ね。

良い意味で
丸くなるのは良しとしても、
気持ちの面で、
ストイックで無くなるというか、
尖りが無くなるはダメだと思うんです。

包丁だって、
長年使っていれば、
形が少しずつ変わっていきます。

年を取れば、刃の形も変わって当然です。

刃の形が変わっても、切れれば何の問題もありません。

問題なのは、
刃の形ではなく、切れなくなってしまう事なんです。

その都度、刃を研いでいるから、
包丁は包丁として使えているのです。

刃を研がなければ、
包丁は包丁として機能しなくなります。

過去の自分と比べて
自分らしくなくなってても、尖ってさえいればいいんです。

形が変わっても、
仮に変わらなかっとしても、
いずれにしても、
常に研いで、常に使えるようにしておかないといけないんです。
包丁として生きていくならば。

まぁ、しておかなきゃいけないっていうか、
現代の日本社会では、
手厚い社会保障もありますから、
包丁として機能しなくても生きて行けてしまいますが、
包丁として機能したいのなら、
常に研いでないとダメだと思うんです。

それは大変、しんどい事なんですが、
たぶん、職人さんって、そういう事だと思うんです。
お寿司屋さんとか、お寿司屋さんだけじゃないでしょうけども、
色んな職業ありますが、
結局、プロとして機能させるならば、
ずっと引退するまで、尖ってないとダメだと思うんです。普通は。

子供の頃、尊敬してた芸人さんを見て、僕は、そう思いましたね。
反面教師ですが。

考え方、生き方を変えるのは構わないと思います。
ただ、怠けて尖らなくなるのは、僕はダメだと思います。
第一線で頑張るのなら。

だから、小さい頃は、そんな思わなかったですけど、
さんまさんなんて、改めて見ると、スゴいな、思います。
今でも尖ってますものね。

そういう人ら見て、自分も頑張らな思いますね。   

ページ上に戻る

inserted by FC2 system
inserted by FC2 system