輝樹教の教え

・憂いを消すためにも、悔いを残さないためにも、全力で行動しろ。

アルバイトしよと思って、
どこで働こーって時に、

ここがいいかな、あそこがいいかな、どれにしよう。。。

って中々決められない時って、あんじゃん?

そういう時はさ、
やっぱ実際、1つのお店だけでなく、
全部のお店で面接した方がいいと思うんだよ。

面接したらさ、
「感じ」がわかるじゃん。なんとなく。

ま、わからなくても、
面接しないよりは、イメージとか掴めるじゃんか。

で、実際に行動するとさ、
あそこは、ああだったな、こうだったな、で、
消去法で選択できたりもするからさ。

やっぱり、行動した方がいいと思うんだよ。

行動してみて初めて分かる事があったりもするから。

で、
もし、行動しないで、決めちゃった場合、
モヤモヤが残ったりする事があるから。

いざ、働いてみたりした時に、
やっぱ、あっちのバイトの方が良かったかなって
思っちゃったりもするから。

そういう憂いを消すためにも、行動した方がいい。

で、行動するなら、全力でね。

全力で行かなくて、俺も失敗した事があるよ。

もうすでにバイトで内定が事実上もらったに等しい段階で、
予め入ってた別のバイトの面接に行くという時、
憂いを消すために別のバイトの面接に行く(行動する)と言っても、
これ、全力でやらないと、意味がない。

もう、内定決まってるから、というつもりで行くと意味がないのだ。

全力で行かずに不採用になった場合、
後で、もし、全力で行ってたら、どうだったんだろう?
というイフを考えてしまうのだ。

そのモヤモヤを生じさせないためにも、
全力で行かないといけない。

全力で行けば、
もし不採用になったとしても、
全力でやったんだから、もう仕方がないと諦められる。
採用になったのならば、より良い選択肢を選ぶ事が可能になる。

上手い理由でも言って辞退すればさ、
もし本命が駄目だった時の予備にするという手段だって可能にもなる。

憂いを消すために、ただ行動するじゃダメなのだ。

悔いが残らないように全力で行動しないとモヤモヤは消せないのだ。

これ、何にでも、そうだぜ。

例えば、他にも、
俺、痔ろうで手術したんですけど、
今思えば、憂いを消すためにも、
もう少し、他の病院でも診てもらえば良かったかな、と思うし、
全力で診察に臨めばよかった。。と後悔もしている。

いくつかの病院に行ったんだけども、
枕詞に「他の病院で診てもらったのですが、、、」みたいなのを
付けてしまった。

「初診で来ました。よろしくお願いします。」って感じで、
診てもらえば良かったかな。
と思った。今思えば。

それがこの場合での全力。

やはり、セカンドオピニオン的になると、
どうしても医者も
セカンドオピニオン的な診察になってしまうから。

もちろん、
それがダメという訳じゃないけども、
自分的に、そっちの方が、モヤモヤしないから。

「他の先生がこう言ってました。」って言って、
診てもらうのは、
予め、答えを教えてるようなもんじゃん。

あそこの先生が言うならっていう先入観が入っちゃうじゃんか。

何も言わないで診てもらって、
他の先生と同じ診断なら、
こちらで裏を取れるというか答え合わせができるじゃん。

やっぱり、そうか。と。

他の病院で診てもらったなんて事は、
無理に言わなくてもいいし、
言わなきゃいけなくなったら、
後で上手く言えばいいのだし、どうとでもなる。
何も最初から、言う必要無かったな。。。と後悔はしています。

テンパってて、純粋無防備過ぎたんでしょうね、その時の僕は。

消去法としてもね、
憂いを残さないためとしてもね、全力で行動した方がいい。

これは、あとあと、ひびくから。

まぁ、性格に寄るのかな。

かなりの差があって、
ビタっと決めれる時はいいけど、
甲乙つけ難い時って、あんじゃん。

そういう時は、あとでモヤモヤしないために、全力で行け。    

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