輝樹教の教え

やはり最終的には人を信じるしかない。この社会は大なり小なり必ず信頼関係、信用関係で成り立っている。

郵便ポストに手紙を入れたら、
送り先に手紙は届くけど、
それは勝手に届くのではなく、届けてくれる人が居るからである。

当たり前だけど、その人が手紙を捨てちゃったら、手紙は届かないのである。

だから、
手紙を出す時点では、
手紙が実際に届くという確証は全くないのである。

だけど、
私達は、手紙は届くと信じ、
それを受けて手紙を届けてくれる人達が居るから、成立しているだけなのである。

蛇口ひねって水が出るのだってそう。
いつも通りに電車が来るのもそう。

この社会は
人を信じる事を前提にしなければ成立しない社会なのである。

人を疑ってしまえば、それこそ、きりがないのである。

手紙が届かないかもしれない。
水が出ないかもしれない。
電車が来ないかもしれない。
そんなのを挙げてしまえば、もう切りがないのだ。

社会インフラだけじゃなくさ、
家族、恋人、友達、同僚などだって、そうよ。

仕事をさぼるかもしれない。
約束を破るかもしれない。
嘘をつくかもしれない。

とかさ、
そんなん、疑いだしたら、きりがないべ?

だから、結局、最終的には、信じるしかないのよ。人を。

信じるしかない、の泣き寝入りよ。

もちろん、
あいつは信用できない。とか、
こいつは信頼できる。とか、あるよ。

それはそれで、自分の尺度を持っててもいいし、
明らかに騙されてるのに信じる必要なんかは全くないよ。

それでも、
やっぱり、
この社会で生きるという事は、
信じる事を前提に生きないと生きて行けない社会なのである。

信頼できないなら、せめて信用すればいい。

信じて頼れないなら、信じて用いればいい。

信用すらできないなら、信用できないという事を前提で、信じればいい。

まぁ、信じて、バカを見る事もさ、あるけれども、
人間、完璧じゃないからさ、そういう時もあるよ。

怨みたくなる事もあるかもしれないけども、
人を信じる事をやめてしまったら、
大富豪でも無い限り、この社会では生きていけなくなってしまうから、
最終的には切り替えて、信じて、生きるしかない。

信じる事をやめてしまえば、闇堕ちするだけ。

性善説よろしく偽善的に言ってるというよりも、
信じて行かないと生きて行けないから言ってるんだよ。

あ、人を信じるという事は他人も自分も信じるという事だからね。

自分に自信が無いとか、
平気で言える人も居ると思うけども、
自分に自信が無いなんて自分で判断が出来るって事自体、
自分を信じてる事に他ならないぜ。

自分に自信が無いってのは、自分が思ってる事だろ?
自分を信じてないなら、自分に自信が無いなんて言葉は出ないはず。

自分も他人も社会も世の中も当たり前に信じる。

ポジティブに強く生きる。

結局、答えは、それしかないのよ。

社会で生きるっつうのは。

で、バカを見たら、今回は災難だったね、で、切り替えるしかないのよ。

漫画とかみたいに特殊能力でも授かったなら別だけども、
人として、この社会で生きるならね。

とにかく、ま、当たり前に信じて生きる。

 

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