外交、領土問題

・北朝鮮の拉致問題を解決する

北朝鮮に拉致された日本人を救出し、北朝鮮に賠償させる。

外交手段を講じても、
北朝鮮政府が拉致問題を早期解決しないのであれば、
拉致被害者を救出しに行くなどの強硬手段も辞さない、
という外交カードを用いて交渉に臨む。

もちろん、
本当に強硬手段も辞さない。

北朝鮮が核兵器を所持したと思われる以前であれば、
俺が首相なら、
特殊部隊かなんかを送り込んで、
強制的に救出してるけどね。

もちろん、
その前に、
辛抱強く外交をして、
最終手段として、
救出部隊を送り込むって事だけど、

今となっては、
そうなると逆に
北朝鮮に核兵器を外交カードに使われる可能性は高い。

なので、
日本は、日本が持ちうるあらゆる外交カードを使って、
老練な交渉をしつつ、
同時に、
北朝鮮から核兵器が日本に打ち込まれても、
安全な防衛システム構築を急がなければならない。

それが絶対防御を誇るものであれば、
北朝鮮に直接、拉致被害者を救出する事も可能になる。

まあ、
現在であれば、
外交、経済制裁などをして、
それでもダメなら、
自衛隊を軍隊にして、
北朝鮮の核ミサイル等を全段打ち落とせるように準備し、
日本も核兵器を配備し、
そうした上で、
特殊部隊を北朝鮮へ送り込むことを辞さずとした上で、
再度、外交する。
などをする。

実際にそこまでなるかどうかはわからないが、
そこまでしようとしないと、
解決には至らない。

そのくらいの行動をしていく必要はある。

世界の世論に訴えても、
そんなのに動じるタマじゃないと思うよ。
今の疲弊している北朝鮮は。
逆にそれを利用して、いいポジション取りするだけだよ。
これがまだ世界的地位向上を取り組んでいる韓国なら別だけどさ。

うんともすんともって感じなら、
実力でこじ開けるしかないし、賠償もさせるべきだと思うね。



・北朝鮮による日本人拉致の発覚
(参考:学べるニュース、ウィキペディア)

日本人が北朝鮮に拉致されていると、
何故、判明したか?

それは、
1987年の大韓航空機爆破事件がきっかけであった。

大韓航空機が
イラクのバグダッドから出発して、
UAE、タイを経由して、
韓国へ到着するはずだった。

しかし、
ミャンマーの上空で大韓航空機が突如、爆発して、
全員(115人)死んでしまった。

調べてみると、
UAEのアブダビで降りた2人の日本人の男女が居る、と。
その2人が怪しいという事になったのだが、
男の方は、
自殺してしまった。
女の方も、
自殺しようとしたが何とか止める事ができた。

その日本人女性は蜂谷真由美(はちやまゆみ)と名乗っていた。

で、
韓国に連れて来られて尋問されている内に、
その日本人女性、蜂谷真由美は、
北朝鮮の工作員、金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚だと判明した。

もし、
このキムヒョンヒ元死刑囚が自殺していたら、
この大韓航空機爆破事件は日本人のせいにされていた。

で、
その事情聴取の中で、
日本語はどこで習ったという事を聞かれて、
北朝鮮に居る日本人に習ったという事で、
北朝鮮が日本人を拉致しているという事が明るみになったのだ。

1989年
死刑判決が確定したが、翌1990年に韓国政府によって特赦される。

2010年7月20日
爆破事件以来はじめて韓国を出国し、来日。





平成26年西暦2014年7月7日放送
ビートたけしのテレビタックル「教えて!拉致問題」とウィキペディア等より

現在、政府が認定している帰国していない拉致被害者は12人。

特定失踪者問題調査会 独自リストによれば、
失踪者総数は約470名(内77名拉致濃厚)で、
警視庁発表の北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者は
約860名だという。



なぜ北朝鮮は日本人を拉致したか?

北朝鮮による日本人拉致の目的
・拉致した日本人になりすます
・工作員の日本人化教育(日本語教育)
以上の2つは金正日が認めている。
・技術者(核・ミサイル、偽札製造、覚醒剤精製など)
・拉致被害者の配偶者
・工作活動、上陸などを目撃された
横田めぐみさんは工作員を目撃してしまったために拉致されたという説もある。
・工作員が日本に潜入した証拠として

 

北朝鮮による拉致問題の疑惑が世に出たのが、

1980年1月7日の産経新聞の1面トップ記事
「アベック三組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」で、
アベック失踪事件が暗に北朝鮮による犯行であることを示唆した事からである。
(日本海で初めて工作船が目撃されたのは、1963年。)

しかし、
このスクープは世論にある程度の衝撃を与えたが、
当時の日本では社会党をはじめ親北朝鮮勢力が
政界、マスメディア界で幅を利かせており、
他のメディアも「産経は公安の情報に踊らされている」として動かなかった。
社会党は
友好関係にある朝鮮労働党の“北朝鮮は事件と関係ない”とする説明を
鵜呑みにし、北朝鮮による日本人拉致を頑なに否定した。

噂に過ぎなかった北朝鮮による日本人拉致だが、
事実として認識される事件が起きた。

それが、1987年の大韓航空機爆破事件である。
実行犯の工作員キムキョンヒが「拉致された日本人が教育係だった」と証言。

1988年には、
当時の梶山国家公安委員長が
日本沿岸で相次いだアベック連続失踪事件について
北朝鮮による拉致の疑いが濃厚と国会で答弁。

そんな中、
1990年、
金丸元副総理が
日本社会党のつてを頼り盟友の田辺誠(社会党)らと訪朝団を編成。



余談だが、
田辺誠氏のウィキペディアには、



南京大虐殺紀念館の建設要請

浜田幸一によると田邊が1980年代に南京市を訪れた際に南京大虐殺紀念館を建設するよう求めたという。浜田はこの要請や総評から南京市への3000万円の寄付によって同紀念館が建設されたと語っている[5]。

[5]浜田幸一『日本をダメにした九人の政治家』講談社 1993年 ISBN 406206779X



と、記載されている。

しかし、
ウィキペディアで
南京大虐殺紀念館を見てみると、



建設の経緯
日本からの要請と寄付があった?

ネット上では
「日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、
当館を建設するよう求めた。
中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、
田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、
その資金で同紀念館が建設された。
3000万円の資金のうち建設費は870万円で、
余った資金は共産党関係者で分けたという。」との話が流布されているが、
話の出所とされている浜田幸一『日本をダメにした九人の政治家』の中では
実際にはそのような言及は一切なされておらず、
現在までのところこの話が事実かどうかも話の出所もはっきりしていない。



と、記載されている。

真偽を確かめるため、
私は、図書館で『日本をダメにした九人の政治家』を借りて、
流し読みではあるが確認したところ、
田辺氏が南京大虐殺記念館を建設するように求めたような記述は一切無かった。

田辺氏の名前は出たものの、
南京大虐殺についての記載は無かった。

ウィキペディアで
『日本をダメにした九人の政治家』を見ると、
1995年に文庫化されており、一部加筆しているようなので、
そこで記載している可能性はあるかもしれない。

少なくとも、
1993年12月に発行された
『日本をダメにした九人の政治家』には、記載されていなかった。




    書名:日本をダメにした九人の政治家
    発行:1993年12月
    発行所:講談社
    著者:浜田幸一
    ISBN 406206779X


話を戻します。。


団長として北朝鮮を訪問する(金丸訪朝団)。
しかし、議題は拉致問題ではなく国交正常化へと向けられた。

北朝鮮の手厚い歓迎に金丸氏一行は感激。


1990年9月自民党金丸信副総理(当時)が
「我が国の行為により貴国の方々に耐え難い苦痛と障害をもたらしたことに対し
心より反省し謝罪するものであります。」と北朝鮮に対し謝罪し、
北朝鮮へ戦後の補償などを約束した。





アホか。

そして、
1997年1月
横田めぐみさんが平壌で生きているという情報が浮上。
家族は救出に向けて、動き始めた。
5月には、
政府はめぐみさんを含む10名が北朝鮮に拉致された疑惑が濃厚と発表。

しかし、
1997年10月、
当時の外務省阿南惟茂アジア局長は、
「亡命者の証言以外に証拠がない」と慎重な姿勢を示した。

1997年11月自社さ3党訪朝団、
1999年12月村山訪朝団、
と、
その後もたびたび大物議員が訪朝するが、
拉致問題解決に向けた動きは見られなかった。

さらに日本政府が北朝鮮にコメ支援している事が問題に。



1995年~2000年まで、
118万トン、総額1700億円分の米を支援し続けた。

拉致問題が何も解決していないのもかかわらずだ。
この支援は、拉致問題のためでなく、北朝鮮との国交正常化のためであった。


当時の外務省幹部(1999年12月)は、
「たった10人のことで日朝国交正常化が止まってもいいのか」
と発言したとのこと。
(自民党外交部会より)

国交正常化構想を進めるため、
米を支援し続ける政府に対して、
拉致被害者家族の怒りと焦りは頂点に。
家族は日朝国交正常化に向けた動きの中で、
口封じとして拉致被害者が殺される事を危惧していた。
(2000年9月)

しかし、拉致被害者家族の必死の願いは届かず、コメ支援は続けられた。
(2000年10月自民党外交部会)

2002年9月17日
歴代総理として初めて訪朝した小泉総理(当時)

日朝平壌宣言に署名し、この時初めて北朝鮮は拉致を認め、謝罪。

1ヶ月後の2002年10月15日、拉致被害者5名が帰国した。

しかし、
北朝鮮は、日本に対し、
帰国した5名以外については、
8名が死亡、2名は北朝鮮に入国していないと主張。

生存を信じてきた拉致被害者家族は悲しみに暮れた。
しかし、
8名の死亡を裏付ける証拠は無かった。
北朝鮮は日朝国交正常化を実現させるため、
5名の拉致被害者を帰国させる事で拉致問題を終わらせようとしていた。

拉致被害者5名を帰国させた小泉訪朝。
一定の成果であったものの、
一方では北朝鮮の思惑に乗せられるところだったとも言える。

以来、12年に亘り、拉致問題は膠着状態が続いてきた。



東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏によれば、

2002年9月に小泉訪朝が実現した背景には、

2002年1月に、
当時のブッシュ米国大統領が、
イラン・イラク・北朝鮮を悪の枢軸と名指しし、

この事を懸念した北朝鮮が日本に活路を開こうとした。

北朝鮮は、
金丸訪朝にしろ、
小泉訪朝にしろ、
北朝鮮が困ってる時にしか動かない、という。

日本の外務省は、
小泉訪朝実現に向けて、
北朝鮮に対して拉致被害者の情報開示を求めていた。
長谷川氏の先輩ジャーナリストが書いた本によると、
水面下の交渉の中、
最終的に、
日本の外務省の方から、
拉致被害者4~5人くらいを日本に帰すという事で、話を付けようとなったが、
(という説があるらしい。)

外務省の意に反して、
当時の小泉総理が、
「それじゃダメだ。全員だ。」って北朝鮮に追及したところ、
「8人死亡、2名未入国で帰せない」との返答した。

しかし、その8人死亡ってのもデタラメであった。
(8人に関する「死亡診断書」などの情報を北朝鮮は提出したが、
これらは捏造であったことを2004年11月の日朝実務者協議で認めた。
ウィキペディア参照)

結果的に、
この小泉訪朝は、
北朝鮮の外交敗北となった。

北朝鮮からすれば、
拉致被害者5人だけを帰す事で手打ちにして拉致問題を解決し、
日本からの多大な経済支援などを引き出そうとしたが、
結局、コメは12万5千トンくらいしか引き出せなかった。




この結果は、
北朝鮮側からすれば、期待していた結果では無かった。

これは、
外務省の下交渉に、
小泉総理(当時)と安倍内閣官房副長官(当時)(現総理)が
最後、乗らなかったから。

しかも、
一時帰国するだけであった拉致被害者5名を
政治家の判断で、北朝鮮に戻さず、日本に留めたから。

現場の政治決断で、
一時帰国した拉致被害者5名を
当時の日本政府は北朝鮮にかえさなかった。

小泉総理(当時)の決断の背景には、
安倍総理(現)の熱心な進言があったからだ。

安倍官房副長官(当時)がどうしてここまで、
小泉首相(当時)に熱心に進言したかと言うと、
1988年9月に、
拉致被害者家族の有本夫妻が、
安倍さんのお父さんである安倍晋太郎自民党幹事長(当時)に
相談しに行ったところから始まる。
当時、安倍さんはお父さんの秘書をやっていた。
そこから、安倍さんは北朝鮮拉致問題に取り組む事になる。

ちなみに、
有本夫妻は当初、
北朝鮮とパイプがある事をアピールしていた日本社会党系の政治家に
助けを求めていたが、何の手応えも無かった。
有本夫妻は、社会党の土井たか子委員長に相談した。
当初、土井は
有本夫妻に同情する姿勢を見せて暖かく対応したため有本夫妻は安心したが、
その後土井事務所からは返事はなくなり、
一切連絡が途絶えてしまった。

このため有本夫妻は上京して
自由民主党の政治家に助けを求めることを決めたという。

当時の外務省の田中均局長なんかは、
拉致被害者5名を北朝鮮に帰すと言っていた。
拉致被害者は日本に一時帰国という体で帰って来ているわけで、
それが北朝鮮との約束だから、と。

外務省の田中局長(当時)と安倍官房副長官(当時)で
一時帰国した拉致被害者を
北朝鮮に帰す帰さないの、ものすごいやり取りがあった。

この田中均氏、ウィキペディアを見ると、売国奴臭がプンプン。

(ウィキペディア参照
総務課長時代には、
アジアとの平和友好交流計画、
村山談話、アジア女性基金設立、のいずれにも携わった。
2001年末から30回以上に及ぶ北朝鮮代表者との水面下の交渉を担当。

首脳会談を実現させたこと自体は高く評価されたが、
田中はこれらの交渉の中で日朝国交正常化を優先し、
拉致被害者問題を軽視したとの批判が大きい。

拉致議連の顧問を務めている中川昭一経産相(当時)に対して
「大臣、北朝鮮のような小さな問題ではなく、
もっと大きな事に関心をもってくださいよ」と発言し、
中川は
「北朝鮮による拉致で、
子どもや家族が26年間も帰ってこない人たちがいる。
それでも小さい問題なのか。
あなたみたいに北朝鮮のスパイみたいなようなことをしていては駄目なのだ」
と激怒したと伝えられる。)

外務省のホームページによると、
平和友好交流計画の目的は、
「我が国の侵略行為や植民地支配などが、
アジア近隣諸国等の多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対する
深い反省の気持ちに立って~」
って書いてあるし、
侵略戦争謝罪の村山談話でしょ、
慰安婦の賠償金代わりのアジア女性基金だろ。
最悪やん、コイツ。

外務省の根回しを御破算にした小泉総理(当時)の政治決断により、
拉致被害者5名を取り戻す事に成功したが、
その後の北朝鮮の態度を硬化させる事にもなった。






ページ上に戻る


inserted by FC2 system