国柄

・宮崎県の平和の塔を八紘之基柱(あめつちのもとはしら)に戻す

皇紀2674年4月22日放送の
「空から日本を見てみようplus」を何気なく見ていた。

今日は、宮崎か、海が綺麗だな。緑もあるな。

すると、宮崎神宮。

宮崎神宮って、あの初代天皇、神武天皇が御祭神なのか。
機会があったら行ってみたいな~。なんて見てると。

平和の塔なるものが出てきた。


なんじゃ、平和の塔だと、またしょうもないもん、作りやがって。
と思ってたら、

あれ、よく見ると、その平和の塔、「八紘一宇」って書いてあるぞ。

あれ、(反日左翼的とも取れる)平和の塔に、なぜ「八紘一宇」?

なんと、ここは、
神武天皇即位2600年を祝うために作った塔だったのだ!

この塔は、もともとは平和の塔という名称ではなく、
八紘之基柱(あめつちのもとはしら)という塔であったようだ。
現在の名称は「平和の塔」で、
正面に彫られた「八紘一宇」の4文字から「八紘一宇の塔」ともいうようだ。

ちなみに、八紘一宇とは、
ざっくり言っちゃえば、
(八紘≒)世界は(一宇≒)一つの家族、みんな平等、仲良くやろうぜ。
って、意味。
八紘一宇の出典元は「日本書紀」巻第三神武天皇の条

紀元2600年奉祝事業として、
皇紀2600年(西暦1940年)に八紘一宇の精神を体現した塔として作られた。

そうだったのかぁ、とテレビを見ていると、
普段は見れないんだろけど、
日本神話の天孫降臨などをモチーフにした内部の様子も公開されてたり、
1944年に発行された10銭札紙幣にも塔が描かれてました~。
なんて紹介も。


って見てたら、
そして1950年代にはロッククライミングの練習場として使われていた。
っていきなり出てきて、ズッコケたわ!!

どういうことですか??

僕みたいな男から見ても、
普通に、これは不敬というか不謹慎な気がするのですが。。。

ネットで調べてみても、
どうして、ロッククライミングの練習場になってしまったのかの理由が見当たらない。

ウィキペデアによれば、

戦後の1946年(昭和21年)1月にGHQの命により、
『大東亜戦争』・『八紘一宇』などの言葉が国家神道を連想させるとして
「八紘一宇」の文字と武人の象徴であった荒御魂(あらみたま)像が撤去された。
塔自体の名称も「平和の塔」となった。
一時はロッククライミングの練習場代わりに使われるほど荒廃した。


1957年4月9日に都市公園として指定されることにより、
都市公園としての整備も進められる。
占領統治が終わった1962年(昭和37年)10月5日に荒御魂(あらみたま)像が、
1965年(昭和40年)1月30日に「八紘一宇」の文字が復元された。
これらの復元を主唱した県観光協会会長の岩切章太郎に
革新政党や労働組合が抗議に訪れたが、
「日名子の芸術作品だから元に戻すのが当然」と追い返したという。
1964年の東京オリンピックでは平和の塔が聖火リレーの第2スタート地点となった。
現在では平和の塔が宮崎県の代表的な観光地のひとつとして、
運動広場や自然散策路などが地元住民のレクリエーション施設として機能している。

ここからざっくり推測するに、
大東亜戦争敗戦後、
GHQもしくは反日勢力が、
皇室を虚仮にしようと、
八紘之基柱(あめつちのもとはしら)でロッククライミングをしたと思われる。
(どうしてこうなったかご存知の方がおりましたら、この俺様に連絡をよこしなさい。)

ロッククライミングの練習なんて、
わざわざ、この塔にしなくてもいいのにさぁ。

神武天皇即位2600年を祝う、このような塔に
よじ登るだぁ?
ロッククライミン、グぅぅ?
んな練習をするだなんて不敬極まりない。

俺が統治者なら「死刑」やでパンパンやで。

虚仮にするにも程があるぜ。
コケほど~!!
コケほど~!!!!!!
コケほどーーーーーーー!!

3回もコケほど言うてもうたよ。
俺が3回もコケほど言う事ないからな。
いいかげんにせえよ!

ロッククライミングなんて、ここじゃなくても出来る!
ドアホ!!!

ロックライミングだけのせいじゃないだろうけど、
結構痛んでる感じがするように思えるのは俺だけか。
嘆かわしい。。

俺様の権限で、
平和の塔の名称を八紘之基柱(あめつちのもとはしら)に戻す!

そして、
八紘之基柱(あめつちのもとはしら)がある
平和台公園(戦前は「八紘台」と呼ばれていた)を
神武天皇(即位2600年)記念公園に変更する。

こっちの方がアイデンティティがあって、観光地としても価値がある。



1942年10月には大日本帝国逓信省(現在の日本郵便)が、
4銭普通切手として国威発揚のデザインとして採用され、
富士山とともに描かれていた。

 

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