国柄

・「死=悪」という生命尊重過度の風潮を正し、本来の日本の国柄を取り戻す

戦後、定着した過剰なまでに生命を尊重し過ぎる風潮に疑問を感じる。

戦後の日本社会には、
「人一人の命は地球より重い」という空気に支配されているような気がする。

支配されているというのは、言い過ぎか。
いや、言い過ぎではないな。
なぜなら、
この「人一人の命は地球より重い」って言葉は、
俺の頭に何となくうっすら残ってて書いてるけど、
俺の考え方的には、
戦争も死刑も安楽死も否定しないし、
「命を投げ出してでもやらなきゃいけない事はある。」っていうのがあるんで、
そんな俺でも
「人一人の命は地球より重い」って言葉が頭のどこかにあったってのが、
何よりの証拠だと俺は思ってしまう。

ネットで調べると、
この言葉は、実際に戦後の日本であった発言で、
死刑制度合憲判決事件1948年(昭和23年)3月12日の判決において、
最高裁判官が放った言葉のようだ。
正確に言うと、
「一人の生命は、全地球より重い。」というみたいだ。

確かに生命は尊く大事に扱われるべきものだが、
尊重し過ぎて、
「死=悪、良くないこと」としてしまうのは、
俺はかえって良くない事だと思う。

例えば、延命治療。

本来であれば亡くなっててもおかしくはない寝たきりの老人が、
医学の発達もあって、管から栄養を補給され、
苦痛と共に生きながらえる事ができる。

本人が望んだのか周りが望んだのか様々な状況があるだろうが、
主な原因として、
戦後日本に漂う「死ぬというのは悪い事」というのがあって、
とにかく「長生きする事が良し」。
それが絶対ってのがあって、死なせたらいけない。
出来るだけ長く生かせなきゃ、
そういう風に思わなきゃ、後ろ指さされるみたいなのがあるような気が俺はする。

俺だったら、
寿命がきてんのに延命治療までして生きたくない、自然に死にたい。

治療費を負担させるのも申し訳ない。
それだったら、そのカネを生きてる人達で未来の事に使ってほしい。

そもそも日本人にとって、「死=悪」というものであったのだろうか。

「死=悪」というのは、戦後日本で定着させられたものではないのか。

日本人の死生観や国柄を自分の知る限りで考えてみれば、
日本人には切腹という文化があるし、
切腹なんてのは尊厳死であったわけで、
自分の名誉やプライドが損なわれるくらいなら
死をも厭わないってのがあるわけですよ。

腹割いて証明するっていうかね。

今の感覚からすれば、クレイジーとも思われるかもしんないけど、
日本の良い意味での良さ、強さは、
そういう狂気の部分にあるわけで、
明治以降の戦前でも
切腹した人、切腹じゃなかったとしても自決した人は沢山居るだろう、
少なくとも戦後の日本よりは。

戦後でも三島さんが切腹して戦後日本に対して警鐘を鳴らしたわけだけども、
どうして戦後の日本では、
「死=悪」という風潮になってしまったかと、
俺なりの推測で言えば、
GHQや反日勢力による日本の弱体化のためにあると思われる。

日本は神風特攻隊や沖縄決戦や集団自決、人間魚雷など、
西洋人からしたら考えられない行為を平然と行った。

西洋人が日本人に対して感じた脅威の一つであろうが、
何が脅威かというと、
洗脳で強制的にやらされたという行為ではなく、
もともとの日本人の性格、日本の国柄として、
生命や個というものよりも名誉や誇り、公や大義が優っていて、
国や社会、家族のためならば、自らを犠牲に出来る大和民族に脅威を感じたわけで、
(キリスト教は自殺≒自決はダメだからね。)
アメリカからしたら、
その脅威を解消しなければ、
日本人は何度でも立ち上がる、脅威になるとの懸念から、
日本人、日本の弱体化を図ったわけです。

その一つとして、
日本人に対して、
「死=悪」という死生観を植え付け、
誇りのためならば死をも辞さないという日本人の死生観を変えるというのがあった。

結果、
アメリカの日本人弱体化計画は成功しており、
今も継続中だし、(つうか、この体制を倒さない限り、永遠に継続だろうけど)
日本人の死生観はガラリと変わってしまったわけです。

皆さん、よく考えてみてください、反日勢力の主張を。

憲法9条改正反対の主張の根拠に、
戦争反対、なぜなら人が死ぬから。生命をなんだと思っている。

自虐史観の教科書に固執する主張の根拠に、
反省してないのか、子供たちを戦争に導く気か。生命をなんだと思っている。

原発反対の人らの主張の根拠も、
原発は危ない。人の生活、生命をなんだと思ってるんだ。

外国人擁護の人らの主張の根拠も、
仲良くしよう、受け入れよう。同じ生命じゃないか。

死刑廃止の主張の根拠も、被害者らは可哀想だが、生命は尊い。
そういう原因を作った社会や国に問題がある。

安楽死反対の主張の根拠も、生命は尊い。命を粗末にするな。大事にしろ。
で、過剰な医療。財政負担。日本借金まみれ。

バクバク牛とか豚とか食ってるくせに、
ペットの殺処分反対の根拠が可哀想、生命を尊重しろと。

生活保護を擁護する人の主張の根拠は、
死んだらどうするんだとか、健やかに生きる権利がある、生命を尊重しろと。

皇室を潰そうとしている人らの主張の根拠も、生命は尊い。
昭和天皇の侵略戦争のせいで、多くの犠牲者が出た。
皇室なんかがあるからいけない、皇室は潰そう、天皇なんか要らない、と。

俺の独断と偏見で羅列したから、
ざっくりしてて批判どころはあるかもしれないけど、
要は何が言いたいかっつうと、
ヤツらはとにかく「人の命は大事。それは絶対。」っての絡めて、
最終的にはそれを根拠に、
世論操作、印象操作の末に、
日本人の死生観や思想を変質させ、結果、現に日本人が弱体化していると言う事。

水戸黄門の印籠ですよ。
これ出せば、日本人は何も言えなくなる。無力化。
東日本大震災もそうでしょ。
被災者が苦しんでるのに、原発再稼働をするなんておかしい!って。
はっきり言って、被災者と原発再稼働は関係無いどころか、
再稼働する事で被災者のためになるにも関わらず、
再稼働するってのは、非人道的という空気を作り出し、言論封鎖。
福島第一原発を再稼働するわけではない。
だから、他の地域の原発を再稼働した事によって被災地の安全性が損なわれない。
今現在、原発再稼働がされていないのは、安全性というよりも、
日本の世論を気にして出来ないってのが一番の理由であって、
日本各地の原発を再稼働したら、日本国民の生活は今よりも楽になる。
楽になった分だけ、東北復興も早まるわけ。
しかし、今は原発再稼働をしていないから、日本国民の生活が苦しくなっている。
なので、その分だけ被災地復興も遅くなるわけ。
よって、原発再稼働させた方が、被災地復興が早まる。
にもかかわらず、
こういう状況で原発を使うのは良くない。という感情論が支配し、
被災地復興を遅らせ、日本の国益を大きく損なわせているのだ。
俺の推測だが、これら一連の事は反日勢力が意図的に導いているものである。

センチメントを持ちだして、可哀想とか人の命は大切だとかのたまうヤツらは、
反日勢力もしくは無意識に洗脳されてる多くの阿呆日本人です。

可哀想とか人の命が大切なんてのは、当たり前。
だとしても、
人間、命を懸けてでも、やらなきゃいけない時がある、事がある。

それも出来るのが、
本来の日本人。日本の国柄。日本人のアイデンティティだと、俺は思う。

だから、俺は日本人の本来持ってるアイデンティティを取り戻したい。

こういう風に言うと、
戦争したいのかとか、戦前に戻るつもりか、
なんていうヤツが居るかもしれない。

俺は、戦争をしたいとは思わないけども、
戦わなきゃいけない時は戦わないといけないと思ってるし、
戦前の全てを肯定するつもりは無いけども、
肯定できるところは肯定すべきと思っている。

誇りや目的のためならば、
自らを命を犠牲にする覚悟があった戦前の日本人を肯定したいし、
それが日本の国柄でもあると俺は思ってるし、
少なくとも、
今の日本は生命を尊重し過ぎるあまり、おかしくなってる部分がある。
でも、それを正そうとすると、
「死=悪」「生命を尊重しろ」ってのが重しになり、改善できない状況がある。

社会保障が手厚くなり過ぎて財政負担になったりさ、
平和だって、
本来、平和なんてのは武力にしろ外交にしろ戦って得られるものなのに、
戦争と戦争の間にある空間が平和という現実があるのに、
武力を持たない事が平和というのを絶対視する脳天気な考えを持ってる人らが居る。

武力を持つと戦争になる可能性がある、そうなると人が死ぬ。だからダメと。

それだったら侵略されたら、戦わず、侵略を受け入れるのか。

誇りは無いのか。生きてさえいればいいのか。

仮に生き永らえたとしても、制限された自由であって、
それを平和と取れるかどうかは疑問である。

平和は自分達が戦う事によって訪れる状態である。

俺は戦う。その結果、死のうとも。

俺は誇りを選ぶ、平和を得るために。

生命は尊く大切なものである。
しかし、
個人の生命を尊重し過ぎれば国を滅ぼす事になる。

行き過ぎた生命尊重の風潮を正し、本来の日本の国柄を取り戻す。

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