教育

・日本神話教育(宗教教育)をする

アメリカ人の30%は
キリスト教福音派で、
(ざっくり言うと、キリスト教原理主義はキリスト教福音派の一部)
40%近くのアメリカ人が
進化論ではなく創造論を信用している。
(人間は、進化したのではなく、神が創ったっていうもの、ざっくり言うと。)

学校では、
創造論を教えるために、
学校に行かせない親もいる。

全米で100万人といわれる自宅学習家庭の内、
70%以上がキリスト教の理由によるもの。
(禁断ワールド2より)

ちなみに、
イスラム教、ユダヤ教にも、創造についての教えがあるという。
(ウィキペディアより)

ここで俺が何が言いたいのかというと、
世界最先端と言っても過言ではないアメリカですら、
宗教教育が施されているという事である。

その一方で、
日本古来の宗教教育は、
大東亜欧米戦争で日本が負けて以来、
タブーとされてしまった。

日本にも日本神話というものがある。

アメリカは
民間で宗教教育をしっかりやっている。

今の日本は、
民も官も日本独自の宗教教育をやっていない。

俺は、
日本もちゃんとやるべきだと思う。

しかし、
今さら民間でそれが出来るとは思えない。

教え手も少ないだろうしね。

だから、
公の機関でやるべきだと俺は思う。
日本再生のためにも。

何も、
日本神話洗脳をさせるつもりはないが、
日本の極当たり前の一般常識として、
日本神話を日本人が、
せめて知っておく必要があると俺は思う、
日本人として。

そういうものがある方が、
何かを信じるというかさ、
ここぞという時に強いと思うし、
団結力も強くなると俺は思う。

日本の成り立ちとしても、
皇室の存在とか、
色んなものが、学ぶ事でスッキリすると思う。

だから、
日本神話教育を幼稚園とか小学校低学年くらいの時に、
桃太郎とかそんな感じの絵本的な、優しい物語として、導入すべきだ。

(皇紀2671年6月7日)

日本神話については、
日本の成り立ち、皇室の正しい知識を教える
にて、
俺が、調べて、ざっくりだが、まとめておいた。


以下、
我が子に伝える誇りある近代史 」より抜粋

では天皇は何をしていたのかというと、
祭祀者としてのお役目がある。

皇祖神、天照大神を崇敬し、
いわゆる日中行事や年中行事、
さらに臨時の行事においても常に第一にお祭りしてきた。

毎朝に行われる御拝は
宇多天皇(890年)から確かに行われてきたという。

明治以降侍従による後代拝となったが、
今日に至るまで千年以上続いている。

また平安時代以降の年中行事を見ても
天孫降臨の神話と密接な関係がある新嘗祭や、
元旦の四方拝をはじめ数多くの行事が今なお厳格に続けられている。

では皇祖神を崇敬するとはどういうことかと言うと、
生命の連続性への感謝である。

我々は日々生活していて、
生命の連続性について
忘れがちになってはいまいか。

我々が今ここに存在しているのは、
祖先から脈々と生命が連続しているからに他ならない。

それを最も身近に自覚し
畏敬、感謝の念を抱いてお祈りしておられるのが皇室の方々であろう。

日本は島国で二千年来、
幸運にも異民族に侵されることもなく過ごしてくることが出来た。

一人の人間を産むには二人の親が必要、
二代前には四人の祖父母、
三代前には八人の曽祖父母と
計算すると十代前までは千人台に、
二十代前には百万人台、
三十代前には十億人台に達する。

日本人の血が流れている人は誰でも
どこかで天皇とつながっているという。

その皇室が
生命の連続性を日々感謝しておられる。

その生命の連続性の中には
祖先への感謝だけでなく
未来の人々に対する思いも含まれているであろう。

五穀豊穣(自然の恵み)、
国家の安定、
そして世界平和なしには、
生命の連続性はありえない。

それらは国民の最も希求するものではないか。

余談
これを執筆するにあたり、
天皇制の起源を神話から記述した。

戦前は
天皇を神聖な存在とする目的で
神話を誤った解釈で教育現場に持ち込んだ。

その為
民主主義を推進しようとするGHQにとって障害となると判断された神話は
戦後、教育現場から抹殺された。

GHQにとって
神国ニッポンはどうしても消し去れなければならなかった概念である。

しかしながら、
神話の世界では
日本が他の国と比べて勝っているなどと一言も触れてはいない。

欧米人にとって神=GODとは唯一神であり、
日本人が考える神の概念とは違う。

日本人は森羅万象全てを神と考えている。

神は
天に、山に、海に、森に、
はたまた屋敷の中にもおられる・・・・。

そのように日本人は神をとらえている。

ましてや戦前において
天皇を人間ではなく「神」そのものだと思っていた人などいないと考える。

現人神であると解釈していたとしても、
決して天皇だけを
神とは思ってはいなかったはずである。

この異文化が欧米人には理解出来なかったのではないか。

GHQは神=天皇の図式をそっくり消し去ろうとした結果、
神話は歴史教育から抹殺されてしまった。

だが、
昨今の考古学、民族学、民俗学の発展に伴い、
それらの見地から
古代史の研究が盛んに行われている。

戦後50年以上過ぎた現在、
GHQからの呪縛を解き、
記紀神話を歴史教育として
見直していい時期になったと考える。

教育とは教え育むものである。

その教育は五感で体感するものであるのが真の姿であろう。

神話を読むと、
その五感で体感するところがとても大きいように思えてならない。

住んでいる身近な場所から、
はたまた旅をすることによって
それらの五感を磨くことこそ
教育上重要な要素であると考え、
あえて神話を記述した。

さらに、
天皇制度の考察は
あくまで筆者の考えによるものであり、
その判断の正否は
読者にまかせることにしようと思う。

参考文献
「國敗れてマッカーサー」西鋭夫著 中央公論新書
「国民の歴史」西尾幹二著 産経新聞ニュースサービス
「教育勅語のすすめ」清水馨八郎著 日新報道
「天皇制を問う 歴史検証と現代」 直木孝二郎著 他 人文書院
「日本神話を見直す」水野祐著 学生社
「天皇家のふるさと日向をゆく」梅原猛著 新潮社
「日本歴史再考」所功著 講談社文芸文庫
「マッカーサー元帥と昭和天皇」榊原 夏著 集英社新書
「皇国史観とは何か」長谷川三千子著 諸君 1999年11月
「天皇・マッカーサー会見」を追って 青木冨美子著 新潮45 1999年9月

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