社会、伝統、文化、外国人

・自分のためでなく、相手に気遣うという日本精神を継承させていく

俺もそうだけど、
今の若い世代ってのは、
相手のためというよりも、
自分のために生きている嫌いはある。

それは、
敗戦後の日本がちゃんと教育してこなかったからでもあるが、
その話は置いといて。

電車の中で、
若い人らが化粧をして、
年配の方にケシカランと言われる事があるが、

当然、
俺は
電車の中での化粧に、ケシカランとはならない世代だ。

なぜ、
非常識だ、
マナーが悪いと言われても、
論理的でないので
何故ケシカランなのか、よくわからなかった。

電車の中で、
化粧したり、
(俺は化粧しないけど)
弁当食べたりするのは、
合理的だし効率的なので、
別にいいじゃん、と。

でも、
ふと、何故ダメなのかがわかった。

たとえば、
化粧だけども、
化粧なんてのは、
自分のためにするものだと思っていた。

乾燥肌を防ぐとか、
ピチピチな肌にしたいとか、
見た目を良くして、可愛く見られたいだとかさ。

でも、
どうやら、
昔の日本人女性からすると、
化粧は、
自分のためというよりも、
相手のために化粧をしていたようなのであった。

化粧というのは、
自分を綺麗にするというよりも、
自分の身だしなみを整えて、
相手に不快感を与えさせないために、
するものだったのだ。

和を貴しで生きてきた日本人が相手に不快感を与えさせないためにやっていた
日本の精神だったのだ。

だから、
相手のためというのが前提にあるので、
不精な姿で家を出ずに、
化粧はちゃんと自宅でして、
ちゃんと身だしなみを整えてから、
それで初めて家を出る事が出来るのだ。

実は、
一見、不合理そうに見えて、
こういった論理的理由があったのだ。
目からウロコー。へぴぴ。

なので、
電車の中で、
化粧をするなんて、もってのほかなのだ。

それは、自分のためでしかなく、
相手(公)のためになっている事ではないからだ。

人に不快感を与えないための化粧であって、
それを公の場でやるのは本末転倒だという事で、
ケシカランとされるのだ。

それで、
ケシカランなのだなと、俺は思うようになった。

かといって、
今さら俺がケシカラン派に急に心変わりするというわけではないが、
(車内での通話、少しくらい、いいじゃん。って、俺は思っちゃうし)
日本人の気遣いの精神、おもてなしの文化とかは、
日本人の大事な部分なので、そこらへんは後世にも伝えていきたい。

最低でも、
この先、俺みたいなのを発生してしまうのを防いで行かなければならないとは思う。

おおやけで、
プライベートな立ち振る舞いをするのは
何でダメとされるのかを聞いた上で、
それ
知ってる上で、やるのとやらないのだと大分違う。

ただ、
頭ごなしに、
最近の若者は非常識だ、
モラルが欠如している、
マナーが悪いなんて言われても、
敗戦後、
アホ教育しかしてこなかったわけで、
最近の若者らだけを責めるのは酷である。

ちゃんと、
こう、こう、こうでダメなんですよ、
と教えないといけない。

ま、
それでもやるヤツは結構居ると思うし、
それはそれでしょうがない。

俺も
不必要にマニュアル通り、
縛られたくないしね。

ただ、
単にダメだと言うのと、
何でダメかというのを説明するのでは、
段違いである。

日本は、
聖徳太子の和を以て貴しとするってのがあったように、
狭い島国の中で、
生きていくために、
お互いに争いをせず、
ケンカをせずにやっていきましょうって文化が形成されていった。

そんなんがあって、
相手に対して
気を遣うという精神が根付いていったのだ。

俺は
こんな事を主張しておいて、
恥ずかしながら、
日本人らしからぬ日本人であるのだが、
しかし、
多くの一般的日本人は、
何かする時に、
まず他人に、人様に迷惑がかかるかどうかを気にするものなのだ。

そういう風に、
遺伝子が蓄積されているのだろう。

自己主張よりも、
相手の事を考えるというのは、
日本人の美徳の一つである。

それが日本人のものづくりや勤勉さなど、
日本社会のあらゆる面に
良い影響を与えているのは間違いない。

ま、
杓子定規とか、
自分の意見を言わないとか、
ってのがあったりして、
マイナス面を
時に、強調される事があるが、
そういうのは、
今まで述べてきた日本人の先天的な性質
プラス、
敗戦後の衝撃
および
自虐史観教育や自虐史観的な世間の空気などの弊害によるものだと
俺は思っているので、
自虐史観的なものを止めて、
自己肯定教育や自己肯定的な世間の空気にする事で、
ある程度、解決していくと俺は思っている。

話を戻すが、
世間に合わせて、
自己を犠牲にする必要性は必ずしもないけれども、
蓄積されてきた日本の精神は伝承していくべきだと思う。

一度失われてしまえば、元に戻すのは難しい。

外国人から日本人はああだこうだ言われたり、
最近の若者は
なんだかんだ言われたりするときに、
なんでだろうと考えてみると、
日本人の公に対する気遣いというのが
関係しているのではないかと思う事が多々ある。

日本人はああだこうだ、
若い奴はああだこうだ、
年配の方はああだこうだと言う前に、
なんでそうなるのかなと一度立ち止まってみると、
人生の深みが増す、、かもしれない。

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