社会、伝統、文化、外国人

・極悪非道暴力団は根絶するけど、任侠やくざは認める社会にする

世界から
あらゆるマフィアの存在がゼロになるであれば、
それが一番いいのかもしれない。

しかし、現実はそうではない。

やくざって、何なのでしょうか。

自分は、
今まで生きてきてヤクザと関わった事がありませんので、
やくざという存在が
実在するのかどうかさえ定かではありません。

なので、
映画や漫画などから得た
自分が知るヤクザのイメージは
2種類あって、

一つは、
弱者から金を毟り取り、極悪非道の悪いイメージで、

もう一つは、
強気を挫き、弱きを助けるという

任侠の良いイメージです。

やくざという存在が
悪いイメージのままの存在であるならば、
警察によって
徹底的に壊滅する必要があると思います。

一方、
やくざという存在が良いイメージの存在であるのならば、
やくざという存在を認め、
共存していく必要があると思います。

つまり、
悪いやくざは撲滅し、
良いやくざは認める必要があると思います。

今は
やくざは全て悪い、撲滅しようって事になっていると思います。

僕は
現実社会に
やくざが、どの程度の関わりや実権を持っているのか
よくわかりませんが、
もし、
やくざがいなくなってしまえば、
裏社会とかアンダーグラウンドで
やくざ、でない悪い奴が
幅を利かすようになると思います。

その重石として、
やくざの存在は
重要なのではないかと思います。

もちろん、
その重石のやくざが
悪では
意味がありませんが。

だから
その重石のやくざが
悪でなければ
良いのだとと思います。

まず、
条件を満たしたやくざについて
国が
その存在を認めます。

どういう条件にするかは
色々と議論する必要があります。

やくざの役割としては、
外国マフィア、外国人窃盗団、不法滞在の撲滅、
日本の裏社会の治安維持、
悪事を働く奴や
覚せい剤等の取り締まりなどをする事で、
ある程度、
やくざのすることを黙認します。

警察は
事件が起きてからでないと行動がしませんし、
警察は
民事不介入で杓子定規な対応しかできません。

その代わりとして、
ストーカーとか
家庭内暴力とか、
校内暴力などの少年の非行、
暴走族の更生など、
何か事件が起こる前に、
やくざの独特な力や義侠心で
臨機応変に
解決できるような世の中にしたいです。

やくざの収入源としては、
賭博を合法化して、
賭博の請負業や
町の用心棒(ホームセキュリティーやガードマンとか)や
債権の取立て業務や
金融業、
香具師や
土木事業などとします。

と、言っても、
別に、制限を設けるつもりは、ありません。

イメージ的には
市川雷蔵主演の「若親分」です。

清水の次郎長演じた勝新太郎の「駿河遊侠伝賭場荒し」とか。

義理と人情を大切にし、
弱気を助け強気を挫くやくざなら、
存在してほしいです。

法やモラルに触れる事もするけども、
本当に
やっていいこと悪い事の区別がついている存在。

近年のドラマで言ったら、
ごくせんとか、
セーラー服と機関銃とかで、
そういうようなやくざの存在が描かれています。

庶民的なので言えば、
映画の「男はつらいよ」とか。
寅さんみたいなやくざは
面白くて、全然アリだと俺は思います。

やくざの良いところっていうのは、
堅気の人に迷惑かけちゃいけないよっていうところにあると思う。
自分は好き勝手生きている。
でも、
世の中には
地道に
真っ当に生きている人達もいる。

そういう堅気で生活している人達がいるから
俺達やくざは渡世人として食えていけているんだ。

だから、
そういった真面目に堅気やっている人達に
何か困った事があれば、
普段、好き勝手やってる俺達やくざが力になれる事があれば、
何とかしますよ的なところからくるんだと思う。

任侠っていう精神は。

そこに
任侠としてのやくざの美学があると思うし、
だとすれば、その潔さに俺は敬意を表せずにはいられない。

それがあるからこそ、
やくざが単なる悪い存在で、終わっていないんだとも思う。

つまり、
やくざにとって、
任侠心が生命線なのだと思う。

俺は
こういったものがフィクションの世界でしか存在しないのだ、

終わらせたくはありません。

悪いやくざのイメージは
私利私欲で好き勝手生きている上に、
一般市民に迷惑を及ぼしてくるような存在なのだと思う。

もし
ヤクザが悪いイメージの存在だとするのであれば、
徹底的に潰すべきであるし、
もし、それが現状できでいないというのであれば、
それは、
警察や国の怠慢じゃないかとも思えます。

警察のトップとやくざのトップが
親密だなんて噂を聞いたこともあります。

暴力団撲滅運動なるものは
単なる市民へのガス抜きに過ぎないのではないかと思えてしまいます。

本当に
国家権力がやくざを取り締まる気になれば、
取り締まれないなんて事は、無いはず、なんて思ってしまいます。

警察だから良い、
ヤクザだから悪い
なんてことはないと思います。

警察官にイイ奴もいれば、悪い奴もいるだろうし、
やくざにだってイイ奴もいれば、悪い奴もいる。

その割合こそ違いはあれ、
どの世界だってイイ奴もいれば、

悪い奴もいる。

やくざをゼロにすることができないのなら、
いっそのこと認めてしまった方がいいと俺は思う。

僕は、
やくざ=悪いって簡単に思ってしまう事に疑問を感じます。

物心がついた時から、
そういうイメージが植え付けられていましたが、
本当にそうなのかとも思ってしまいます。

やくざが悪いって結びついてしまうのは、
やくざは法律を守らない組織だからというイメージからあるからかもしれません。

だからといって、やくざを全て悪というのは差別的だと思います。

やくざだって人間です。

やくざだから、全て悪いというのはナンセンスです。

そもそも、
結社の自由という自由権を我々は有しているわけですから、
ヤクザというだけで、ダメっていうのは、
自由権に反していると俺は思います。

この世の中、子供に聞かれて説明しにくい事が多すぎます。

タブーというか、
やくざもその内の一つだと思います。

戦後とか、
警察が機能していなかった時期に
やくざが活躍したという話を聞いた事がある。

散々利用しておいて、
要らなくなったら、お払い箱っていう精神も
俺は、好きじゃない。

火事とか水害とかの災害があったら、
その地域を守るような気概のあるやくざ。

そういう男気あるヤクザなら、いいんじゃないですか。

やくざが
民間警察のような感じに、
なれば、いいんじゃないかと。

やくざが暴走しないように、
チェックする仕組みとして、
警察はやくざに対して強い権限を持てるようにする。

やくざは市民に対して強く出る。

市民は警察に対して強く出れるようにする。
三権分立のように、均衡させるというかね。

警察だって、
俺からみると、
横柄で感じが悪く態度がでかい人けっこういるよ。

もちろん、
今は
いざとなったら警察しか頼れるところがないから、
警察に頼るしかないけどさ。

でも
警察の場合は
融通が利かないんだよね。

仮にさ、
暴力団が10万人居るとすんじゃん?

それを撲滅していこうとなった時に、
暴力団10万人を処刑できるでしょうか。

暴力団10万人を堅気にするとしたら、
生活させていく方法はどこにあるのでしょうか。

暴力団を辞めて、
新しい職に就けとなった時に、
スムーズに実行するやくざがどれだけいるでしょうか。

それならば、
いっそ、
本来の日本やくざのしのぎを荒らすような輩を排除した上で、
悪いヤクザとそうでないヤクザに分けて、
市民に受け入れられたやくざと共存していった方が、
現実的だ。

市民も、
やくざもそっちの方が、
生活しやすくなると俺は思うよ。

でさ、
悪いヤクザは撲滅すればいい。

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