社会、伝統、文化、外国人

・的屋を支援していく

『的屋』の解説

的屋とは
祭礼時の寺社の境内や参道、
また各地方の祭りの際に、
簡易の屋台を出して
食品や玩具などを売る商人のこと。

的屋の他に
香具師(やし)・街商・大道商人・露店商といった呼び方もある。

的屋が取り扱った物は
金魚すくい、
綿菓子、
リンゴ飴、
お面などが主であったが、
時代とともに
クジによる景品交換や
ゲーム性の強いものが増えている。

的屋は祭事とともに移動し、
定住した店舗ではないため、
区割りなどの秩序維持を業界内で行った。

この秩序維持を行う上層部団体には暴力団化したものもあり、
屋台はショバ代を
暴力団化した上層部団体に上納するという形が出来た。

しかし、
現在は
区割りを自治体や祭事を主催する団体が行うようになり、
暴力団との繋がりが深い的屋は排除されはじめている。

これにより、
身内などのグループによる的屋が増え、
○○一家といった的屋は減少しているが、
同時に屋台自体の数も減少。

フリーマーケットで代行するといった祭りも出ている。
(日本語俗語辞書より)

 

的屋の歴史
(ウィキペディアより一部抜粋)

明治時代以前の人々の暮らしは
地域の自治権をある程度認められており、
神社や寺などの定期的な修繕や
社会基盤の拡張や一新を図るに当たり、
莫大な費用が必要であり、
その一環として寄付を直接募るよりは、
祭りを開催し
的屋を招き地域住民に参加してもらい、
非日常(ハレ)を演出する事で
的屋から場所代として売り上げの一部をその資金とした。

庶民も
夜店や出店の非日常を楽しみ、
日本の祭り文化が人生を豊かにし、
技術を持った商売人としての的屋も生活がなりたったと言う背景がある。

的屋は「露天商や行商人」の一種であり、
日本の伝統文化を地域と共有している存在である。

それゆえ、
的屋は
価格に見合った品質の商品を提供するというよりも、
祭りの非日常(ハレ)を演出し、
それを附加価値として商売にしている性格が強い。

時代の変遷と共に、
伝統的な的屋の非日常(ハレ)の場独特の雰囲気を
演出する技量を持つ者も少なくなり、懐かしむ声も聞かれる。

的屋という職の減少が
日本の各地の縁日の減少に
多大な影響を与えている事は否めない。

つまり、
的屋は
日本の伝統文化を維持し、
非日常を演出する事で、
地域社会を盛り上げる役割がある。

そのような存在が減少し、
ひいては
日本の伝統文化の色が薄まっていくと思うと物寂しい。

だからこそ、
寅さんみたいな技術を持った的屋が
商売できるような環境を、
地域住民が一体となり、
整える支援をしていきたい。

 


(以下、「やくざと日本人」猪野健治著より抜粋)

テキヤ小史
露店の指導者
一般にテキヤと呼ばれるのは、
伝統的に露店を営業し、
これを管理し指導する露店商人のことである。

これに対して、
失業、倒産その他で
一時的に露天商に投じる者は、
浮動素人として区別される。

現実にテキヤの世界でも、
右のような区別をしており、
筆者の調査したところでは、
浮動素人は一家内の会合に出ることもなく、
単なる会員としてあつかわれている。

これに対して正式に
テキヤ一家の身内になる者は、
「あずかり」と呼ばれる見習い修業を
五、六カ月から二年くらいやり、
この期間中に
ネタ(商品)の仕入れ、
バイ(売る)の技術、
他家名、
身内の者とのアイツキ(交際)の方法、
バイのタク(口上)等を身につけ、
若い衆の一員として、
一家内で認められ(親子盃)、
自立していく。

この過程は
戦前ほど厳しくないが、
形式としては、
いぜん残っている。

テキヤは、
伝統的な露店営業を継承している限り、
博徒・グレン隊と根底的に異なる
特異な零細商人――屋根をもたない商人集団として規定づけられる。

しかるに
終戦後の混乱期に発生したヤミ市の封鎖後、
平日(ひらび)(常設露店)が禁止され、
営業圏を
いちじるしく
せばめられた彼らの一部が、
そこで、
刑法学者等は、
合法的露店営業(縁日のみの出店)や
その他合法的事業以外には手を出さないテキヤを
単にテキヤと呼び、
非合法的傾向の強い集団を
暴力テキヤとして暴力団の範疇に加えている。

しかし、
新聞に代表されるマスコミは、
テキヤについてこのような注意は払っておらず、
テキヤ全体を暴力団あつかいして
はばからない。

マスコミは、
テキヤの親分子分組織が善良な露天商から
「ショバ銭」「ゴミ銭」などの名目で、
暴力的な搾取を常習しているごとく受けとっているようである。

しかし、それは正確ではない。

テキヤには、
独特のネタモト(仕入れ先)があり、
そこからネタを仕入れるには、
だれかの紹介がいる。

素人が露店を出す場合は、
その道のベテランである親分のもとへ相談に行く。

親分は、
ネタモトを紹介してやり、
本人に仕入れ資本がないときは、
手持ちのネタを貸し与え、
露店を出すショバ(場所)の世話をやいてやる。

その場合、
バイナマ(売上げ)から一定の手数料を取るのはあたりまえである。

また「ショバ銭」「ゴミ銭」というのは、
電灯代、掃除代のことである。

平日(ひらび)(常設露店)を認められていない現在は、
縁日(神社仏閣の祭礼、酉の市、初詣で等)しか営業できない。

露店営業を終わったあと、
境内を使った「掃除代」のかたちで、
地元のテキヤの世話人は、
神社仏閣側に一定の金額を奉納する。

その奉納金の各露店への割りあてと、
電灯代の謝礼金も含まれているが、
それは暴力を背景として
取り立てるなどというものではなく、
あくまで
出店者側の世話人への「ご苦労代」である。

そのような実態の把握なしに、
テキヤを
すべて暴力団としてあつかうのは
差別以外のなにものでもないだろう。


テキヤは
本来は香具師といった。

別に野士(やし)、宝永師ともいう。

野師は
武士が刀をすて、
野にくだって
露店・行商人になったという
言いつたえからきた言葉である。

宝永師は、
宝永年間(一七〇四~一七一一年)に、
全国の高市(たかまち)(祭礼)を渡り歩く
露店商人や行商人が増えたために、
この名称が残っているのだが、
それより古い時代に
露天商がすでに存在したことは、いうまでもない。

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