食、第一次産業、環境

・里山の保全をサポートしていく

里山の意味を辞書で調べれば、
人里近くにある、生活に結びついた山。
ってわけなんだけど。

その意味以上の重さがある。

ってのは、
里山ってのは、
近くに人がいるだけじゃ、ダメなんだ。

人が
山に手を入れる事で、
人と山が共生する事ができるようになる。

それが里山なのだ。

人間が
山に何も手をいれないと、
無造作に樹木などが生い茂り、
太陽光が入らなくなり、
土壌崩壊や、
台風時の土砂滑り、
私達の生活のための水源確保が困難になるなど、
色々と問題が生じてくる。

里山を放置してしまう事で、
竹林が繁殖して里山の生態系を破壊したり、
人間が気を間引かなくなった事で、
木に虫が入り、
気が枯れるナラ枯れを起こしたりする。

人が
山からの恵みで生活しつつ、
山と共に生きていくために、
里山を維持していく必要があるのだ。

例えば、
水道局が
我々が生活で使う良質な水源を確保するために、
水源の山の手入れをしたり、
牡蠣の養殖をする人達が、
滋養ある海にするために海に流れる川の元をを辿って、
山の手入れをしたり棚田などの農作業をする事で、
水源を保持し、
土砂災害を起こしにくくしたりしているのだ。

こういった事は枚挙にいとまがない。

このような山の手入れとかは、
ボランティアでやっているようなものだ。

結果的に
山の手入れをしてくれているのであって、
それで生活しているというわけでもない。

そういった山の手入れ師というか、
里山保全師みたいな職業があってもいいし、
農業とかやって結果的に、
里山の手入れをおこなっている方々に、
我々は感謝しなきゃいけないし、
補助金でもマンパワーでも何でもいいけど、
何かしら、サポートできたらなと思う。

俺は物心ついてから、ずっと横浜で、
いわゆる、「ふるさと」ってもんを知らない。

でも、
ふるさとの原風景が
心の何処かに何故かある気がする。

それは俺が日本人として、
憧れから勝手に思っているのかもしれない。

仮に単なる憧れだったとしても、
俺がふるさとってもんを知らないで育ってきてしまったからこそ、
俺が体験できなかった、
「日本のふるさと」ってもんを、
これからの子供達のために、
その子供達が少しでも多く、
日本のふるさとを感じることが出来るよう、
後世に残していきたい。
って、俺は思います。

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