都市開発、交通

・スーパーハブ港湾世界一位を目指す

海外勢に敗北している沈む日本のハブ港湾に活気を。

1980年に世界4位だった神戸は
阪神淡路大震災で
釜山港に取って代わられて以来44位になっている。

2008年において、
日本の港湾トップが
東京で24位、横浜で29位と甘んじている。

もともと日本の港湾は
世界ダントツというわけではなかったが、
それでも世界の中でそれなりの地位にあった。

それが
今や全体的に
日本の港湾が低下している。

それは
東アジアの港湾が
世界ランクを独占し始めて、
そこに奪われて、
日本の港湾全体の活気が
無くなってしまっているようだ。

日本がどうとかいうよりも、
中国、韓国の台頭が著しい。

東アジアの港湾が栄えているのは、
日本よりもその利用量が安いからなのだ。

例えば、
釜山は日本よりも4割ほど安い。

日本ができる改革としては、
大型船が入港できる水深の深いターミナルの整備、
港の24時間化、
港運業者の再編などがある。

日本に、
俺的には横浜が妥当だと思うが、
そこにスーパーハブ港湾を作って、
世界一の港にしたい。

 


(以下、「新公共事業必要論」より抜粋)

日本の港湾を
コンテナ輸送の観点で見ると

ビッグスリー(京浜・伊勢湾・阪神)・プラスワン(博多・北九州)

を中心とする構図になっています。

京浜港(東京・横浜)、
伊勢湾(名古屋・四日市)、
阪神港(神戸・大阪)の三つの港湾がスーパー中枢港湾ですが、
もう一つは、
それに準ずる博多港・北九州港の北部九州です。

この四地域が
日本の海上コンテナ輸送の中心であり、
四つに分散しているところに日本の特徴があります。

韓国の場合、
韓国全体の物資を釜山港に集めます。

一国一港主義をとっています。

しかし日本は四極主義です。

日本列島の物資を東京に集めるにはコストがかかります。

四極で日本全体の海運をカバーしているのです。

もしも九州の物資を東京港に集めてから外国に輸送するとしますと、
それだけコストがかかります。

四つの地域から
それぞれ外国へ輸送するほうがコストが安く合理的です。

東京港は首都圏の中心です。

首都圏には
日本の人口の三分の一が集中しています。

東京と背後圏に暮らす四OOO万人の人々の生活と経済・産業を、
東京港と横浜港、そして川崎港、干葉港でまかなっているのです。

わが国のコンテナの取扱個数の第一位は
東京港、第二位が横浜港です。

これに対し、
川崎港と干葉港は
石油、鉄鋼、エネルギーなど産業用物資を担当しています。

コンテナの取扱個数では東京港が第一位ですが、
石油や石炭、自動車などすべてを含んだ貨物量では、
第一位が名古屋港、
以下、
二位干葉港、
三位横浜港、
四位川崎港です。
東京港は五位です。

干葉港、横浜港、川崎港のほうが
東京港より貨物量が多いのです。

東京港はコンテナ数ではトップですが、
これは生活物資が多いからです。

食料品、家電製品など、
東京港が扱う中心は生活関連物資です。

東京港は
首都圏四000万人の生活を支える「商業港湾」としての役割を
担っているのです。

これに対し、
横浜港は
生活物資も自動車などの産業製品も扱っています。

生活用と産業用がバランスしています。

川崎港と干葉港は
石油、鉄鉱石など産業用が中心です。

いま、東京港は
輸入超過の状態にあります。

コンテナで輸入しますから、
東京港には
空(から)のコンテナが数多くたまります。

東京港のターミナル内には
空のコンテナの置き場がないほどです。

これに対し、
横浜港は輸出超過です。

輸出用のコンテナが不足しています。

このため、
東京の空のコンテナを
横浜へ運ぶための「共同デポ」をつくり、
そこに空のコンテナを集め、
道路の交通混雑が
緩和する夜間などに輸送することにしたのです。

東京港には二つの役割があります。

一つは外国交易です。

二つめが国内輸送です。

このため内航船の出入りも多いのです。

四OOO万人の首都圏の人びとの生活を支えるための
農水産物、紙などの生活物資が東京港に集まります。

首都圏の新聞用紙のほとんどは東京港に集まります。

東京・品川の芝浦埠頭には
新聞用の紙のほとんどが荷揚げされます。

これには理由があります。

東京港は
江戸築城以来、生活物資中心の港湾でした。

明治の開国のときは、
江戸と離れた横浜を
外国交易用の港にしました。

東京港が
外国交易用の港湾になったのは
昭和一六(一九四一)年でした。

まだ六七年しか経っていないのです。

東京港は
一貫して国内流通の拠点だったのです。

明治政府は、
初期においては、
首都東京に外国船舶が入るのをきらい、
横浜に外国貿易用の港をつくりました。

輸出も横浜港で行うことにしたのです。

昭和に入ってからも、
東京の物資の輸出入は
横浜港を経由して行われていました。

しかし、
昭和六年の満州事変以降、
軍需の拡大によって中国大陸との交易が増大し、
東京港を発着地とする貨物の割合が
次第に大きくなっていきました。

この問題に対処するため、
昭和一三年に当時の東京市長らによる東京開港の運動が起こり、
横浜の産業・貿易界や東京市の市民からの強い反対を受けたものの、
昭和一六年五月二〇日に、
東京港の開港が実現します。

ただし、
開港以後も、
東京港の道のりは平坦ではありませんでした。

第二次世界大戦により港の発展は阻まれ、
敗戦後にはGHQに接収されたため、
港の機能がほとんど停止状態となったのです。


物流機能強化という点で三つの課題があります。

一つは岸壁の水深をもっと深くすることです。

東京港のいまの水深は世界の水準と比べると浅い。

東京港のもっとも深い岸壁の水深は一五メートルです。

この深さでは
六OOO個のコンテナを運ぶ船の着岸は可能です。

しかし、
世界の水準は
深さ一六メートル~一八メートルが主流になっています。

いまやコンテナ八〇〇〇個から1万個を運ぶ大型船の時代です。

大型船が着眼できないということになると、
東京港は、
世界のなかで
地方港湾化してしまいます。

大型船が入港できる釜山港や上海港で積み替えてから、
より小型の船が東京港にくるということになります。

このままでは東京港は
本船が立ち寄らない港になってしまいます。
こういう状況を専門用語で「抜港」といいます。

東海道新幹線にたとえると、
「のぞみ」が止まらない駅ということです。

このままでは、
東京港の役割が低下するだけでなく、
日本の産業競争力が低下します。

最近は物流の合理化が進み、
物流の定時制が行われるようになっています。

在庫を少なくし、
倉庫コストをカットする傾向が強まっています。

物流のラインに乗せる寸前に
港に降ろす必要があります。

こうしたことは釜山港経由では不可能です。

東京港でやらなければなりません。

しかし、
これができないと
釜山港や上海港に
工場が移転することになってしまいます。

これでは日本の国民が困ります。

日本の経済・産業の発展が阻害されてしまいます。

荷主が
安心して
東京湾を使えるようにするためには、
大型港にして
ヒト、モノ、情報を集中する必要があります。

港湾は
たんなるインフラではありません。

産業インフラの性格が強いのです。

これからの港づくりは
岸壁の整備だけでなく、
産業立地化する必要があるのです。

東京港では
平成二四年に
中央防波堤外側埋立地に
一バースだけ
水深一六メートルの国際海上コンテナターミナルが
完成します。

ただし、
東京港の場合は
水深を深くするのが大変なのです。

もともと東京港は
隅田川と荒川の河口にできた港です。

水深が浅いのです。

一六メートルの水深にするためには
浚渫(しゅんせつ)が必要です。

東京では
水深一六メートルが限界なのです。

日本の物流を考えたら、
横浜港の役割は大きい。

横浜の南本牧埠頭は
もともと水深二〇メートルと深いのです。

(「空から日本を見てみよう」より)

もう一つ問題があります。

東京港の大型船が接岸できる埠頭は
飛行機の空域(羽田空港)と重なります。

大型船はマストが高い。
航空機の安全にかかわるのです。

中央防波堤外側埋立地に新しくつくるコンテナターミナルでは、
コンテナ六〇〇〇個積みの船のマストは
空域をはみ出してしまいます。

一万個のコンテナを積む大型船のマストの高さはもっと高い。

東京港の場合は
限られたエリアのなかに空港(羽田空港)と港湾がある。

この矛盾を解決し、さらに利点とする方法を考えなければなりません。

もう一つ課題があります。

道路ネットワーク
とくに北関東の道路ネットワークとのつながりをつくる必要があります。

当面の重点課題の一つは道路の混雑解消です。

東京湾岸道路は、
ほぼ完成したものの、
まだ不十分な状況です。

東京港が取り扱っているコンテナ数は
年に約三七〇万個です。

一日約一万個です。

この一日一万個のコンテナをトラックで運びます。

これが道路の渋滞のために、
一日一往復しかできていません。

しかも
道路が渋滞していると時間がかかるうえ、
時間を読むことができない。

渋滞がなければ
トラックは三往復できるのです。

このため、
現在、
新しい国際海上コンテナターミナルの計画地である中央防波堤外側埋立地と
千葉県寄りの若洲地区とを結ぶ東京港臨海道路の整備を推進しており、
ちょうど東京港の開港七〇周年にあたる
平成二三年に開通させる予定としています。

これにより、
交通混雑がかなり緩和されることになりますが、
道路だけでは
有効な打開策とはならないのも事実です。

便利になれば、
それだけまた混んでしまいます。

そこで、いま検討しているのが、

鉄道とハシケ

(艀 (はしけ)は、河川や運河などの内陸水路や港湾内で
重い貨物を積んで航行するために作られている平底の船舶。)

を活用した新しい物流ネットワークづくりです。

船と鉄道の結合、船とハシケの結合です。

船舶とハシケの結合は、
横浜港~東京港間で商業ベースで動きはじめました。

今後は、
千葉港と京浜港との間においても広がっていくでしょう。

海上コンテナのハシケ輸送は拡大しています。

東京湾内でのハシケネットワークは今後定着していくと思います。

港と鉄道の結合は、
神奈川臨海鉄道で実験中です。

「横浜港における海上コンテナの鉄道輸送実証実験のご案内」
には次のように記してあります。

<鉄道による海上コンテナの国内輸送ネットワークの強化は、
スーパー中枢港湾である
京浜港の国際競争力向上に向けた方策の一つであるとともに、
低環境負荷型の物流体系構築に向けた取り組みとして期待されています。
そのため「京浜港物流高度化推進協議会」では
鉄道駅と港の連携強化による効率的な物流サービスを目指し、
様々な取り組みを進めてきました>

今回、その一環として、
横浜港本牧コンテナターミナルに隣接する神奈川臨海鉄道本牧埠頭に
海上コンテナ専用の積替施設を整備し、
鉄道輸送と海上輸送のシームレス化を図る実証実験を通して、
鉄道利用促進に向けての課題抽出や効果検証等を実施してまいります。
これが成功すると、
船と鉄道の結合の第一歩が開かれます。
船と鉄道の結合は、
自然環境保全の立場から考えてもきわめて有益です。


東京港は都民に愛される港湾に向かって、
さらに日本を代表する一大国際港湾に向かって、
一歩一歩着実に前進している。

このような港湾整備を推進する主体は
政府でなければならないと私は考えている。

港湾の整備は国際的視野に立って、
国益の観点から進められなければならない。

しかし、
戦後の港湾管理・運営のシステムは
戦前と異なり政府ではない。

戦前は港湾は国営だったが、
戦後、GHQの命令により地方自治体にゆだねられた。

GHQは日本の港湾を軍事施設と捉え、
国から切り離し地方自治体の管轄下にしたのである。

二一世紀は世界大海洋時代である。

このなかで
日本が
世界を代表する貿易・海洋国として生きていくためには、
港湾と空港の整備を、
国の重点政策として、
さらには最重要な国家戦略として行う必要があると私は思う。

日本は貿易・海洋国として生きていく以外には道はない。

これは全国民的に考えるべき国家戦略的な大きな課題である。


横浜港の港湾取扱貨物量(平成一九年速報)は、
全国第三位である(一位名古屋港、二位千葉港)。

外資コンテナ取扱量(同速報)は
全国第二位(一位東京港)。

貿易額(同速報)は
全国第四位
(一位成田空港、二位名古屋港、三位東京港)
である。

横浜港には数多くの埠頭がある。

横浜港の周辺には
大企業の工場が多数立地している。

港がこれらの産業を支えている。

最近注目されているのが
高規格コンテナターミナルである。

本牧埠頭は一五~一六メートルの水深がある
(水深一六メートルはいま整備中)。

(「空から日本を見てみよう」より)

大黒埠頭の水深は一五メートル。

とくに注目されるのが南本牧埠頭である。

水深一六メートル以上、
超大型船を迎えるためである。

水深一六メートル以上の岸壁ができたとき
横浜港は世界の最高水準の日本を代表する港になると私は思っている。

世界の海運業の技術革新は日進月歩である。

今日ではコンテナ一万個を積む超大型の時代になっている。

これら超大型船を碇泊させるためには、
少なくとも水深一六メートルが必要である。

やがてより深い(水深一七メートル、一八メートル)埠頭も必要になるだろう。

世界の海運は急速に変化しつつある。

超大型化である。

この流れに対応するためににも、
港湾の整備を急がなければならなくなっている。


京浜港というくくりで見ると、
日本全国のコンテナの約四〇%を占めています。

一位の東京港が二二%、二位の横浜港が一八%です。

東京港は
背後に首都圏四〇〇〇万人の消費地があり、
このための輸入が非常におおい港です。

これに対して、
横浜港の背後地は
京浜工業地帯ですから、
ここで生産した製品の輸出が中心です。

「京浜港」として計算すると日本最大の巨大港です。

世界の港湾と比較しても、
「京浜港」として見るとコンテナ取扱は世界第一三位に位置しています。

日本の港湾は、
トランシップ(積み替え)を主としていない港ですから、
トランシップを除けば
世界有数の大港湾ということができます。

スーパー中枢港湾のような日本の中心港湾は、
今日の世界的な大海洋時代においては、
政府が責任をもってやるのが、筋だと思います。

戦後の港湾政策の基本的枠組みをつくったのは
GHQ(連合国最高司令官総司令部)ですが、
GHQは
日本の港を
すべて軍港とみなしていたのようです。

そこで、
港湾を政府の管理から外し、
地方自治体にゆだねたとのことです。

その後、
「京浜外資埠頭公団」とか
「阪神外資埠頭公団」のような広域的な公団によって補ってきたのですが、
これも行政改革の流れのなかで
やめてしまいました。

世界大海洋時代においては
大港湾をも地方自治体にゆだねたままにしておくことは
考え直したほうがよいのではないか。

京浜港は
日本の人口の約三分の一にあたる四〇〇〇万人の生活と経済を支えています。

京浜港は、
北海道や東北地方などを含む東日本地域の貨物の集積地になっており、
関東圏だけでなく
より広範な地域の経済活動を支えています。

一部は中部地方からの貨物もきています。


京浜港にくる貨物は陸上で運送されるもののほか、
内航海運で運ぶものもあります。

荷主にとって、
日本の港湾のほうが、
いいサービスが受けられます。

荷物の傷みが少ないのです。

荷物の情報も得られやすい面があります。

しかし、
日本海側の港にとっては
釜山港の方が近いため、
トランシップ貨物が
釜山港を経由するのはやむをえないことです。

京浜港は首都圏四〇〇〇万人だけでなく、
東日本全域を含む、
関東圏の一・五倍から二倍の国民の生活と経済を支えているのです。

世界における京浜港の位置

ヨーロッパから見ると、
京浜港が
地球上で東の一番端に位置している港です。

この京浜港で
ヨーロッパ行きの荷物が最初に積まれます。

京浜港から出発して、
名古屋港などに立ち寄り
荷物を積み込んでヨーロッパへ向かいます。

最大の海運会社マースクは、
二〇〇七年には
南本牧埠頭の二バース
一〇〇万TEUを超える積下ろしをするようになりました。

マースクはアジアの拠点を
横浜港においています。

ヨーロッパ、アジアでは大深水港の時代がきています。

南本牧埠頭は水深一六メートルあります。

このバースは平成一三年に供用が始まりましたが、
計画されたのは二〇年前で、
当時世界でも
まれな水深一五メートルで計画されました。

これを計画した人びとの先見の明は素晴らしいものです。

世界の船舶の大型化に備えて
南本牧埠頭の整備を行っています。

いま水深二五メートル以上のところにバースをつくっています。

(「空から日本を見てみよう」より)

当面は水深一六メートルですが、

将来は水深二〇メートルのバースをつくります。

コストはかかりますが、
世界の船舶大型化の流れから遅れるわけにはいきません。
日本は海洋国ですから。

京浜港のこれからの課題

第一はコンテナターミナルの拡張です。

いまのコンテナターミナルはすでに手狭になっています。

第二は岸壁の水深を深くすることです。

水深一五~一六メートルの深さがないと
大型船が入ることはできません。

第三は港湾周辺の道路整備です。

道路整備は進んでいますが、
運送会社は有料道路をほとんど使いません。

とくに大型車は
無料道路ばかり利用します。

ですから、
多くの車が
港をぐるっと回る道を通るようになっていました。

このため無料道路の整備を進めてきました。

大黒埠頭と本牧埠頭を結ぶ上下二本の道路
(上が湾岸道路、下が一般道路)
が開通し、
横浜市民にも運送業者からもたいへん喜ばれています。

京浜港で扱っているコンテナ数は
二〇〇六年に七二二万個でした。

これは、
釜山港の一二〇〇万個、
ロッテルダム港の一〇〇〇万個には及びません。

釜山港は旧港と新港の距離は二〇キロメートル、
ロッテルダム港の海と陸の施設との距離は二〇キロメートルです。

東京港と横浜の距離も約二〇キロメートルです。

京浜港は
一つの港湾としての機能を十分に果たすことができます。

阪神港も同様です。

最近、阪神港は
入場料を一度払えばよいことにしました。

それまでは各港湾に入るときに
それぞれ入港料を支払わなければなりませんでした。

いまは神戸港に入るときに
入港料を払えば大阪港には無料で入ることができるのです。

京浜港でも、
この四月に同じことを検討しはじめました。

まずは入港料の一本化からです。

これが実現すれば、
入港する外資船にとっては助かります。

京浜港はハブ港への道をめざしますか。

世界の荷物取扱量上位の港湾のほとんどが、トランシップ港です。

積み替えの仕事を増やし、それによって収入を増やしています。

上海、
シンガポール、
ホンコン、
釜山......の各港湾は、
いわゆる「グローバルハブ・スーパーハブ」港湾です。

しかし、
日本の港湾には
グローバルハブ・スーパーハブ港になるだけの貨物量はありません。

二〇〇六年コンテナ取扱量は上海港が二一七一万TEU/年でした。

これに対して
東京港は三七〇万TEU/年、横浜港は三二〇万TEU/年でした。

日本の港湾は、
グローバルハブ港をめざす必要はないのです。

ただし、
海外港で
日本着の貨物が
トランシップされることを防ぐ必要があります。

それは
海外発着のトランシップ貨物の取り合い競争をするわけではないのです。

あくまで、
日本発着貨物について、
日本ダイレクトか海外トランシップかを競うのです。

日本がめざすべきは「地域のハブ港の地位」を確保することです。

「地域ハブ港」とは、
大陸間を結ぶ基幹航路を往来する
世界最大級のコンテナ船が相当数寄港する港のことです。

日本としては、
大海洋時代に移行している世界の流れから後れることなく、
現実主義に立って
アジアを代表する大海洋国家としての責任を果たしていきたいと考えています。


名古屋港は、
名古屋市、
東海市、
知多市、
弥富市、
飛島村にまたがる大変奥行きの深い広大な港湾である。

港の陸域にあたる臨海地区の面積は、日本一である。

扱う貨物量も貿易額もともに日本一。

自動車の輸出台数も日本一。

広い名古屋港の各所に何千台もの乗用車が並んでいる光景は圧巻だ。

トヨタをはじめ製造業の中部地区の面目躍如である。

港の主役はコンテナ船である。

コンテナ船は年々大型化している。

世界最大のコンテナ船は
長さ四OOメートルで、
一万個以上のコンテナを積むことができる。

名古屋港は、
いま、
世界最大のコンテナ船が停泊できる深度の深い岸壁の整備に取り組んでいる。

名古屋港の現状と課題

名古屋港の日本全国における位置と特徴は?

取扱貨物では、名古屋港は日本一です。

この傾向は数年間つづいています。

名古屋港の背後圏にはトヨタなど多くの製造業の工場がありますから、
海外から原材料を輸入し、
海外へ完成車など製品と部品を輸出しています。

これが名古屋港の輸出入の約半分を占めています。

量的に見ると個別の港湾では日本一です。

しかし、
東京湾全体と比べると東京湾のほうが量は多いのです。

東京湾には
東京港のほか横浜港、川崎港、干葉港などがあります。

これを合わせると
東京湾のほうが量としては上です。

大阪湾も同じです。

大阪港、神戸港、堺港などを合わせれば
大阪湾は名古屋港より大きい。

名古屋港の貿易額は日本一です。

輸入より輸出のほうが多い。

黒字が四・九兆円ある。

これは日本全体の黒字の半分以上を占めている。

この点は名古屋港が自慢できるところです。

外貿コンテナ貨物量と個数では名古屋港は第三位です
(一位東京港、二位横浜港)。

国別に見ると、
日本は、
一位中国、
二位米国、
三位シンガポールについで第四位となっています。

世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキング(二〇〇五年)は
一位シンガポール港、
二位~四位がホンコン港・上海港・深セン港と中国の港湾、
五位釜山港(韓国)、
六位高雄港(台湾)、
七位~八位が
ヨーロッパのロッテルダム港(オランダ)とハンブルク港(ドイツ)、
九位がドバイ港(アラブ首長国連邦)、
一〇位、一一位が米国のロサンゼルス港とロングビーチ港、
一三位~一五位が
青島港(中国)、ポートケルン港(マレーシア)、寧波港(中国)と
アジアの港がつづきます。

日本の港で最高位は二二位の東京港。

そのあとは
二七位の横浜港、
三四位の名古屋港、
三九位の神戸港、
五一位の大阪港、
一一〇位の博多港、
一三五位の北九州港……となっています。

名古屋港は日本の第三位です。

名古屋港の課題は?

港湾の役割は背後の国民経済を支えることにあります。

名古屋港の場合は、
一つは背後圏の国民生活を支えること、
もう一つは背後圏の産業を支えることです。

とくに名古屋港の場合は、
背後圏にトヨタ、新日鉄などの製造業の大企業があります。

これら産業・企業の国際競争力を
維持し高めるために貢献することが名古屋港の第一の課題です。

このためには巨大なコンテナ船が入れるようにする必要があります。

世界は超大型コンテナ船の時代になりました。

超大型コンテナ船が入れないと、
入れる港を経由する二重運送になります。

これではコストがかかります。

荷主はグローバルな選択をします。

港が
荷主さんの要望に応えて
製造業、素材産業、エネルギーなどの各産業の国際競争力の維持に
貢献するには、
超大型コンテナ船が入れるように岸壁を整備する必要があるのです。

名古屋港に超大型コンテナ船が入れるようにするためには、
浚渫(しゅんせつ)が必要です。

名古屋港は水深が浅い港です。

浅いというのは名古屋港の宿命なのです。

新日鉄などの素材、
エネルギー産業の競争力を名古屋港が支えるためには
現在よりも大型の鉄鉱石を積んだ船が入れるようにすることが必要です。

いまは
君津港などで積み替えて
名古屋港へ輸送していますが、
名古屋港に直接入れることができれば
国際競争力にはプラスです。

港湾の大型化においては、
名古屋港も遅れないように
検討していかないといけません。

名古屋港の特徴は、
奥に細長い港湾だという点にあります。

東西に狭く南北に長いのです。

名古屋港の水域が狭い。

現在の海のなかでは限界があります。

名古屋港整備の重点課題は?

三つあります。

第一は岸壁の整備です。

第二は航路の整備です。

浚渫です。これは毎日やっています。

名古屋港は
毎日大量の船が東航路を通っていますから、
これらの通航船舶を止めて
浚渫工事をすることはほとんど不可能です。

それで凌深船を移動しながら毎日掘っているのです。

これを行っているのが清龍丸です。

清龍丸は
「俊傑」と
「油回収」と
「防災機能」の役割を担っている大変すぐれた作業船です。

平成九年のナホトカ・ダンカー事故までは一隻しかなかったのですが、
この事故を契機に全国で三隻体制にしました。

俊傑だけでなく油回収も行います。

防災の仕事も多い。

第三は臨港道路の建設です。

港湾内、港湾と背後地とを結ぶ道路の整備です。

これもたいへん大切なことです。

そのほか、港湾の補修の仕事があります。

港湾の耐用年数は約五〇年です。

この期限が、いまきています。
設備の更新の時期がきているのです。

こうした課題にも取り組んで、
国民の皆さんに愛される港湾づくりを進めています。


神戸港の課題と未来像

二〇〇五年の港湾取扱貨物量ランキングによると、
神戸港は
名古屋、
干葉、
横浜、
苫小牧、
水島、
北九州、
川崎、
大阪、
東京の各港についで第一〇位です。

しかし、
二〇〇六年の港湾制外貿コンテナ貨物量およびコンテナ個数ランキングを
見ますと、
外貿コンテナ貨物量では
横浜、名古屋、東京につづいて第四位、
外貿コンテナ個数では東京、横浜、名古屋についで第四位となっています。

世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキングを見ると、
一九八〇年には神戸港は世界第四位でした。

ちなみに
一位はニューヨーク/ニュージャージー港、
二位ロッテルダム港、
三位ホンコン港でした。

それが二〇〇五年は三九位に急落しました。

取扱量は一位のシンガポール港の一〇分の一以下です。

平成七(一九九五)年に起きた
阪神・淡路大震災の影響の大きさがうかがえます。

同時に、
中国などアジア諸国の急激な経済成長と
各国の積極的な港湾政策の推進の結果だと思います。

しかし、
平成一八年の輸出入額そのものは
平成六年の震災前を上回っています。

神戸港の現在の課題について

第一の課題は国際競争力の強化です。

一九九五年の阪神・淡路大震災により港湾施設は
全壊し、
神戸港のハブ機能は一気に低下しました。

一九九四年のコンテナ個数は二七〇万TEUでしたが、
一九九五年は半分の一三五万TEUになりました。

その後、約二年で港湾施設を全面復旧し、
港の復興に努め、
徐々に回復してきています。

グローバリゼーションの進展に伴い、
世界各地との結びつきはますます強まっています。

高い技術力に支えられた基幹的製品の国内生産体制強化の動きも顕著です。

大阪臨海部では尼崎市の松下プラズマディスプレイ工場、
堺市のシャープ液晶パネル工場を中心に
関連企業群からなる一大先端産業コンビナートの形成が
急ピッチで進んでいます。

これら産業の国際競争力を支えていくためには、
世界各地と高頻度、低コストで結ばれた国際物流ネットワークを形成し、
維持していくことが必要不可欠です。

そのために、
世界トップクラスの国際コンテナ輸送サービスを提供する
スーパー中枢港湾の整備や阪神港の一開港化などを
中心に戦略的に取り組んでいます。

第二の課題は大阪湾岸の高規格道路網の整備推進です。

トータルとしての国際物流の効率化のためには、
第一の課題と車の両輪のように、
神戸港と臨海・内陸部に立地している工場等を結ぶ
陸上交通の効率化が必要です。

また、
大阪湾岸には、
神戸港、
大阪港、
関西国際空港という世界に開かれたゲートウェーがあり、
これらの連携を強化し、相乗効果を発揮することも重要です。

現在は関西国際空港から神戸港六甲アイランドまで
大阪湾岸道路が供用されていますが、
六甲アイランドからポートアイランドを結び、
さらに和田岬へと伸びていく大阪湾岸道路西伸部の早期事業化が
強く望まれています。

さらに西のわが国有数の工業地帯である播磨地域とを結ぶ
播磨臨海道路の早期整備も求められています。

港と道路の連携により神戸港のポテンシャルはさらに高まります。

第三の課題は内貿フィーダー輸送網の充実・強化です。

神戸港の競争力を高めるためには、
コンテナ貨物の集荷増大が大切です。

阪神・淡路大震災前は、
アジアのハブポートとして
近隣諸国から神戸港で積み替えて
北米、欧州に輸送されるコンテナ貨物が六〇万TEUを超えていました。

現在は
近隣諸国の港湾の整備などが進んだこともあり
ほとんど取扱いはありません。

逆に
瀬戸内海や日本海側の港から
釜山港にコンテナ貨物が流れています。

神戸港と瀬戸内海諸港との内貿フィーダー輸送の充実・強化や
神戸港での内貿・外貿コンテナ積み替えの効率化を図ることにより、
釜山港を利用するよりも
トータルサービスに優れた利用状況を形成する必要があります。

第四の課題は市民に対して開かれた港づくりのさらなる推進です。

神戸は
港と街が一体化した港を身近に感じることができる
とても素敵なみなとまちです。

また、
神戸市の雇用の約三〇%、GDPの約三五%が
神戸港の活動に依存しています。

 スーパー中枢港湾・阪神港の将来

阪神港の将来の課題は。

関経連の提言を受け、
二〇〇五年に産官学からなる国際物流戦略チーム
(本部長は関経連会長)が設立されました。

目的は、
国際物流の効率化を通じた関西経済界の活性化をめざし、
スーパー中枢港湾「阪神港」や関西国際空港などの活用を図りつつ、
産学官が一体となってさまざまな方策に総合的に取り組むことにあります。

この国際物流戦略チームが打ち出したのが三つの広域連携です。

第一が港と港の連携

(一開港化、
スーパー中枢港湾プロジェクトの推進、
入港料の低減、
港湾の広域管理、
手続きの一元化・IT化など)

です。

第二が港と道路の連携(高規格道路の整備など)です。

第三が港と空港の連携(SEA&AIR輸送、深夜貨物便の推進)です。


大交流時代における日本の港湾の課題

大交流時代への世界の急激な変化のなかで
日本が海洋国家として生きていくためには、
国全体としての取組みが必要になってきているのではないでしょうか。

たしかに検討すべきことはたくさんあります。

大きな検討課題は日本の港湾のフィーダー化という問題です。

フィーダー化の危惧とは、
欧州・北米などとの地域を結ぶ基幹航路に就航する
超大型コンテナ船がわが国の港を素通りすることです。

シンガポール港、
ホンコン港、
釜山港など海外の港で
超大型コンテナ船から小型コンテナ船に積み替え、
そこからわが国の港にコンテナ貨物が運ばれ、
世界のなかで見ると枝線輸送に頼る状況になる危惧です。

これでは、
国際物流コストも上昇し、
グローバル化がますます進展するなかで
世界中の企業と闘っている国内産業活動の足を
著しく引っ張ることになります。

絶対に避けなければいけないと思います。

わが国の主要港とアジアの主要港に寄港する
欧・米基幹航路の便数を
一九九五年、二〇〇一年、二〇〇六年で比較すると、
アジアの主要港は著しく増加しているのに対し、
わが国の主要港は大きく減少しています。

たとえば週当たり便数で見ると、
釜山港は二七便が四三便、五二便となり、
上海港は一便が二二便、五三便となっています。

一方、
わが国は東京港の横ばいを除けば、
横浜港、名古屋港、大阪港、そして神戸港のすべてが減少しています。

とくに、神戸港は四二便が二九便、二〇便となり、
大阪港は一六便が一三便、八便というように一一年間で半分に激減しました。

全国べースで見ても
フィーダー化により
運ばれる外貿コンテナ貨物の割合は、
二〇〇三年で一五・五%に達しており、
五年前の五・三%と比べると三倍になっています。

こうした状況を克服するために、
世界トップクラスのコンテナターミナルの整備・運営を目標に、
大阪湾、東京湾、伊勢湾の三ヵ所に集中投資しています。

重ねて申し上げますが、
わが国の産業の国際競争力を支えるスーパー中枢港湾の機能強化、
わが国港湾の国際競争力の強化が最大の課題だといえます。

北海道民の生活と経済を担う苫小牧港

石炭の積出港として出発した苫小牧港
長期的に見ると北海道の港湾には大きな可能性がある。

北海道は、
ロシア、
中国、
韓国、
北朝鮮、
カナダ、
北米を含む北方経済圏の中心の位置にあり、
北方経済圏をつなぐ海上交通の拠点になる可能性がある。

とくに世界が注目しているのが北海道の港である。

資源小国日本は、
エネルギーの新たな供給拠点である極東ロシアとの貿易を強める。

そのとき、北海道の港湾の存在意義が高まる。

北海道の港湾は北方貿易の中心的役割を担うことになる。

なかでも北海道の中心港の苫小牧港の役割は大きい。

苫小牧港は、
東京港・横浜港、
名古屋港、
神戸港・大阪港、
博多・北九州港(準スーパー中枢港湾)と
並ぶスーパー中枢港湾的役割を果たすことになるだろう。

それだけではない。

国際的な北方経済圏の中心の港湾としての役割を担うことになるだろう。

苫小牧港の将来について考えてみたい。

平成一九(二〇〇七)年三月に
苫小牧港管理組合が作成し公表した
「発展するアジア経済圏に北海道を組み込む海圏として 苫小牧港長期構想」
大変すぐれたレポートである。

要点を紹介する。

第一は苫小牧港の国際物流機能の充実である。

その二は、
北海道産の高質な農水産品をアジアに供給し、販路を広げる。


博多港には大いなる可能性

博多港には大いなる可能性がある。

それは、
博多港がいくつかの優れた特性をもっているからである。

第一は、アジア諸港にもっとも近いという地理的特性である。

日本の港湾で、
朝鮮半島、
中国大陸にもっとも近く、
急成長するアジア貨物の中継拠点として最適の位置にある。

博多港の長所の一つは
博多~上海を二六・五時間で運航するRORO船
((ROROとはRoll On Roll Off Ship)の略。
乗り込んで、降りるの意。
船のなかにトレーラーが自走して乗り込むことが可能な構造をもち、
クレーンを使わずに貨物の積み降ろしができる船)
の存在である。

スローガンは<Sea Price Air Time(海の料金で空の早さを実現します!)>。


大港湾時代の到来

次の一文は、
二年前の二〇〇六年に
中国の上海港・洋山深水港と韓国の釜山港を
視察した直後に書いた私の小論である。

<二〇〇六年五月中旬に上海港と新上海港(洋山港)、
韓国の釜山港を見学してきた。
上海港が取り扱っているコンテナ数は
日本のスーパー中枢港湾と比べてケタ違いに多い。
置き場も広大だ。
新上海港は
陸地から三二キロメートル沖の島に橋を架けて造られた人工の港。
三二キロメートルの海上の高速道路を往復した。
洋山港は巨大な港である。
釜山港は上海以上に活気がある。
いまの釜山港では増大する運輸需要に応えられなくなっており、
巨大な新釜山港を建設中である。
上海港、新上海港、釜山港、新釜山港と比べると、
日本の港湾は小さく、貧弱で停滞している。
大人と子どもほどの差がある。
アジアの繁栄の拠点である上海、釜山からは、日本が小さく見えた。
米ソ冷戦の終焉、
日本の港湾の停滞、
中国を中心とするアジアの高度経済成長、
海運技術の大革命(コンテナ革命と船舶大型化)によって、
アジアに大港湾時代が到来した。
シンガポール、ホンコン、上海、釜山、高雄の各港が
世界の海運の中心になった。
ついで欧州、米国の港がつづく。
日本は港の大型化が遅れた。
海洋国家日本は
一九九二年以来の政府の港湾切捨て政策のために停滞し、
アジア新時代から取り残された。
いまからでも遅くはない。
政府が港湾の重要性を認識し、
先頭に立ち、
各地方自治体が力を合わせるならば、
巻返しは可能だ。
大切なのは、政府が「港湾」を国の主要戦略と位置づけて取り組むことだ。
釜山港は
太平洋とユーラシア大陸をつなぐキーポートの役割を担おうとしている。
中国は上海港プラス新上海港に匹敵するもう一つの巨大港を建設し、
その大新港と欧州最大の港ロッテルダムを
ユーラシア大陸を横断する鉄道で結び、
太平洋・ユーラシア大陸・大西洋を直結させた
巨大経済圏を構築する大構想を進めている。
だが、
ユーラシア大陸と太平洋を結ぶのは日本の役割でなければならぬ>
[二〇〇六年五月一九日配信の「コメントライナー」(時事通信社)]




屋上から上海港を見回したとき、
目の前に接岸した大型コンテナ船が
コンテナの積み替え作業をしている最中だった。

ガントリークレーンが6台、コンテナを下ろす作業をしている。

この一年間、日本の港を見学してきたが、
一隻の船に使われるガントリークレーンは二~三台だった。

それが六台使われている。

それでも積み替えに一二時間かかる。

荷を下ろしたあと新しい荷物を積み込んで出航するのである。

屋上から港湾全体を見渡すと上海港は大変に広い。

本当に広い。

港の敷地はどこまでも伸びている感じだ。

その広大な敷地に無数のコンテナがびっしり積まれている。

これがコンピュータで管理されている。

コンテナを積み下ろしするクレーンが、
広大なコンテナ基地のなかを動き回っている。
港の外からはコンテナを積んだトラックが入ってくる。

この一年間、
東京港、
横浜港、
名古屋港、
神戸港、
大阪港、
博多港その他数々の日本の港を見学してきたが、
日本最大の東京港と比べても、
上海港のスケールははるかに大きい。

 日本の港湾のあり方についても意見を聞いた。

「日本の港は平均化している。
巨大な中心港をつくるべきではないか。
巨大な中心港は世界の流れだ。
日本はこの流れに対応すべきだと思う。」

 日本国内だけであれば、平均化は悪くないと思う。

しかし、
世界的視野に立てば、
巨大な中心港が必要である。
港湾政策は世界史的視野に立って立案されるべきものである。

日本は、
国策として、
政府の政策として、
巨大な中心港をもたなければならないとつくづく思った。

巨大な中心港を、
一つにするか、
それとも二つにするか、
三つにするか、
また四つにするか――この問題は慎重に検討しなければならないと思う。

 日本は結局、四中心主義をとることになった。

 

去る五月中旬、
上海港、新上海港(洋山深水港)、釜山港を視察しました。

まず、総括的な感想を申し上げます。

第一
三港とも非常な高揚期にあります。

それぞれの港湾担当者は自信満々です。
上海、釜山とも、港と広大な都市が一体です。
都市全体の急速な成長に港湾の整備が引っ張られています。
また港湾の発展が都市の成長を促しています。
相互作用が展開中です。
国全体、
都市全体の繁栄が、
港湾発展の原動力になっています。

第二
上海の新旧二つの港と釜山港は、国家戦略として整備が行われています。

上海の洋山深水港が短期間に建設され、
供用されているのは、
国家の明確な戦略にもとづいて実行されている結果です。
釜山港も同様です。
新釜山港の建設が急速に実行され、
早くも供用されているのは、政府の確固たる方針によるものです。
大きな事業は政府の責任で行うべきです。

しかも、
両港とも、政府の大構想のもとに行われています。
上海の洋山深水港は世界最大の港をめざしています。

さらに、
洋山深水港と結ぶ東海大橋の起点の周辺に
大都市を築く計画が進行しています。
中国においては港湾と都市は一体のものです。

韓国政府は釜山港を
「太平洋とユーラシア大陸をつなぐキーポート」と位置づけています。

南北朝鮮統一のうえで、
釜山を起点にして朝鮮半島を縦断する鉄道を建設し、
さらにこの鉄道をシベリア鉄道と中国鉄道の二つの鉄道と連結して、
ユーラシア大陸を横断して
ヨーロッパと直結するとの構想を明らかにしています。

釜山を基点として、
太平洋とユーラシア大陸とをつなぐアジアの拠点にしようとしています。

第三
上海、釜山とも港湾の巨大化と高度技術化を進めています。

二一世紀を巨大港湾と大量輸送とアジア中心の時代にしようというのです。
この流れに、日本は立ち遅れています。

日本のもつ
もともとの実力と港湾関係者の献身的な努力によって
日本の港は健闘はしていますが、
しかし、
上海、釜山から見ると、
日本は小さく、縮んでいるように見えました。

この原因は、
政府が、
アジア中心の大海洋時代に対する国家戦略をもっておらず、
また
もとうとしないところにあります。

日本は、
本来、太平洋地域を代表する一大海洋国であります。

太平洋とユーラシア大陸の連携の核となり、
アジアの繁栄をリードすべき位置にあります。

私は、
わが国はアジアの繁栄のリーダー役を果たすべきだと考えます。

わが国は、
アジアの代表的な海洋国家としての国際的責任を果たすことを
真剣に考えるべきだと思います。

港湾整備をテコとする経済成長が日本を救うと思います。

日本が選ぶべきは、
高い文化力・道徳力・技術力をもつ個性ある平和的貿易・海洋国への道である。

このためにいまなすべきことは、
第一に、
貿易・海洋国としての特色を最大限に生かすために
世界最高水準の港湾機能を整備することである。

具体的にいえば
巨大船舶を受け入れる能力をもつ
水深一六メートルから一七メートルの埠頭を
少なくとも三つのスーパー中枢港湾
(京浜、名古屋、阪神)につくることである。

日本の主要港湾に
最大級の輸送船が絶えず寄港できるよう港湾を整備すべきである。

さらに国内の輸送において海運の有効利用を行わなければならない。

とくに内航船によるコンテナ輸送への転換が求められている。

第二に、
海外との人的往来を活発化させるための空港の整備と改善が必要である。

第三に、
運送の合理化、省エネ化のために
運送体系の大改革を実行しなければならない。

海運中心の運送体系への転換によって
経費節減を進めると同時に、
地球温暖化対策を推進する必要がある。

第四に、
工業・商業の拠点を港湾・空港の近くに集中することにより
経済システムの合理化を行い、経済効率を高める必要がある。

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