治安維持、刑罰強化
・任侠やくざを公認する
他の項目でも述べているが、
順を追って、話そう。
人に害をなす暴力団を排除するのは当然である。
しかし、
日本のやくざ全てをそのような暴力団として、
一緒くたにするのは、
過激であると、俺は思う。
やくざの中にも、
いいヤクザ、悪いヤクザと存在すると、俺は勝手に思う。
やくざというだけで、
社会的に排除していこうというのは、
単なる悪質な差別に過ぎない。
悪いヤクザとは
想像しやすいだろうが、
では、
いいヤクザとは、どういうヤクザか?
それは、
弱い者を助け、強い者をくじく任侠心を持ち、
義侠的行動をとる侠客としてのヤクザである。
社会体制を管理する側からすれば、
ヤクザは
社会体制からはみ出る社会の敵として
必然的に捉えるが、
ヤクザが
社会体制の敵だったとしても、
その事は必ずしも、
民衆の敵と一致するとは限らない。
本来のヤクザは往々にして、
民衆の味方である事の方が多い。
というのは、
ヤクザという職業は、
確固たる社会や民衆が存在して初めて、成立する。
となると、
社会も敵に回す、民衆も敵に回すでは、
ヤクザは生きて行かれないからだ。
建前上、
社会体制は
ヤクザの存在を否定しがちなので、
ヤクザは民衆を敵に回そうとはしない。
なので、
ヤクザは「堅気の方に迷惑をかけるな」という意識を持っているのだ。
かつては、
ヤクザと民衆は同じ社会で暮らして共存していた。
そういった社会が成立していた。
日常生活の秩序が乱れたりした時に、
ヤクザに簡単なトラブルを解決する事で、治安を維持していた面もある。
だから、
町の人とヤクザは今ほどの垣根がなく、同じ空間に居た。
手に負えない不良少年を
親がヤクザに預けて
シツケしてもらうなんて事も昔はあったとかなかったとか。
そもそも
ヤクザのルーツとは何か。
日本のヤクザには約五百年の歴史がある。
ヤクザのルーツは
室町時代、戦国末期のかぶき者から端を発したとされる。
かぶき者とは、
異風を好み、
派手な身なりをして、
常識を逸脱した行動に走る者たちのことで、
彼らは、
仲間同士の結束と信義を重んじ、
命を惜しまない気概と生き方の美学を持っていた。
かぶき者は
乱暴・狼藉を働く無法者として嫌われつつも、
一方では
その男伊達な生き方が共感と賞賛を得てもいた。
ヤクザのルーツは
超下級武士の類からきているのである。
ルーツは途切れ途切れにはなるが、
社会からあぶれたものがそれを形成していき、
今日のように
地域社会に深く根をおろすようになったのは、
江戸時代に入ってからである。
江戸時代においては、
地域共同体の警察のような役割も担っていた。
また、
江戸の警察組織の末端にも組み入れられて、利用される事もあった。
近世ヤクザは
賭博や芸能興行権などを統括した。
現代でいう日雇い派遣の頭領のような存在でもあった。
近代ヤクザは
日露戦争期に、
治安が乱れ、自衛のために
ヤクザが治安維持に努めたことから、
店を守る用心棒が生まれてきた。
相撲興行を含む大衆芸能は
ほとんどすべてをヤクザが仕切っていた。
港湾業も営むヤクザも増えてきた。
やくざは戦争時においても
軍の手では
まかないきれない仕事を担いもした。
土建系のやくざは軍関係の土木工業を、
遊郭系のやくざは大陸での将兵「慰安施設」を、
興行系のやくざは芸能人を引きつれての将兵慰問を、
廃品回収系のやくざは軍需物資生産に必要な金属、繊維原料収集を、
港湾荷役、輸送系のやくざは兵站を、
というように、
やくざの親分衆は
それぞれの専門に見あった分野で
軍に協力したのであった。
もちろん、やくざは生きるための商いではあったが、
国のために貢献できる事は誉れでもあった。
これらの仕事は、
テーブル学問しか知らない温室育ちのエリートにできるものではない。
白刃の下をくぐりぬけてきた「度胸」と
苦渋労働の体験をもつ者でなければ到底できない仕事である。
日ごろ「法度破り」のバクチを稼業としている親分連には、
日陰者意識が強く、
その反動として「ことあれば国のために役ちたい」という心情があった。
第二次世界大戦敗戦直後、警察は充分に機能しなかった。
そのため
自らを
戦勝国民と称する
朝鮮人、台湾省民、中国武装集団などの第三国人による犯罪が激増した。
そういった状況下で、
ヤクザが第三国人から日本国民を守った。
警察もヤクザに頼らざるを得なかったが、
そこから警察とヤクザとの癒着が始まったいう話もある。
しばらくは警察もヤクザも良好な関係が続いたようだ。
しかし、
日本の治安が安定するようになると、
1964年、
警察がやくざを暴力団として
執拗に厳しく取り締まるようになって、今日まで、きている。
その間に、
社会の中で共生していたヤクザは社会から隔離されてしまった。
戦後、
ヤクザは日本の治安を守り、
その事は皆の記憶に残っていたはずなのに、
ヤクザが排除されてしまったのは、
単に、警察の治安能力が戻り、ヤクザが用済みになったからなのか、
それとも、
ヤクザが勢力を拡大し過ぎて、
企業や市民に害をなす存在になってしまったからであろうか。
ヤクザが社会から排除されるようになり、
企業は今までヤクザ担ってた商売の領域に進出し始めた。
ヤクザも対抗したが、
この点において、
企業は公権力を駆使し、
ヤクザからシノギを奪い取ったのは、フェアではなかった。
企業は
公権力とタッグを組み、
ヤクザから、
用心棒(ガードマン)、興行、港湾事業を奪い取ってしまった。
結果的に、
シノギを削られたヤクザは生きていくために、
非合法な分野に進むしかなくなってしまった。
かつて、
ヤクザは
地域社会に溶け込んでいて、
同じ空間で生活していた。
ヤクザの事務所には
組の看板を堂々と掲げ、
組に行けば、
組員の動向が一目でわかるほどのオープンな存在であった。
その事は、
ヤクザが隠れてコソコソしなきゃいけない存在では無い、
つまり、マフィアのような秘密犯罪組織では無いという一面でもあり、
世間や社会がヤクザを許容していた証しでもある。
しかし、
そうした露出も
暴力団対策法ができてからは影を潜めてしまっている。
ヤクザに対する取り締まりがキツければ、
ヤクザは地下に潜伏するしかない。
つまり、
過度にヤクザを取り締まる事で、
ヤクザの収入源が企業に奪われ、
その結果、
ヤクザはグレーゾーンや非合法の商い手を出さないと生活が出来ないため、
ヤクザのマフィア化を促進させてしまっているのだ。
日本のヤクザと外国のマフィアは全く違う。
マフィアは日本のヤクザみたくオープンではない。
社会と共生していなく、非合法の秘密組織である。
なので、
外国人からしたら、
ヤクザが事務所を堂々と構えている事に驚きを隠せない。
だが、
驚く必要は全くないのだ。
なぜなら、
ヤクザはマフィアではないからだ。
そこを勘違いしてもらっては困る。
マフィアではないのだから、堂々として当たり前だ。
マフィアとヤクザの決定的な違いを言えば、
マフィアはビジネスとして犯罪を請け負う非合法秘密組織で、
マフィアが義理と人情で無報酬の行動を起こす事は、無い。
ヤクザには任侠と義理と人情がある。
それが無ければ、ヤクザではない。
ヤクザは
ビジネスのための犯罪集団ではなく、
根底は、
己の道を貫くためならば
法を背く事も辞さないというだけなのである。
その日本のヤクザが、
取り締まりが厳しすぎて、
生き残るために、
日本のヤクザがマフィア化せざるを得ない状況となってきているのだ。
顔も知らない末端組員の罪も、
やくざのトップが責任を取らされる状況で、
やくざ側も
若者をやくざにリクルートしなくなってきてしまったのだ。
すると、
やくざの数は減るが、
ヤクザに入らないで悪さをする若者が増えてしまうのだ。
やくざの場合、
やくざ社会なりの伝統的な規律があって、
それを行動の範としている。
だが、
ヤクザに入っていない若者は、
そういったルールが全くない傾向にある。
なので、
ヤクザの数は減るかもしれないが、
犯罪は増える傾向にあると俺は思う。
さらに、
ヤクザの場合は、
先ほども行ったがオープン的なのだが、
普通、犯罪者ってのは、潜伏して、こっそり行うものだ。
つまり、
ヤクザを厳しく取り締まる事で、
把握できない犯罪者が増えてしまうのだ。
俺も想像の範疇で言ってるから、
定かじゃないけどさ、
かつては、
裏社会をヤクザがしっかり管理していたと俺は思うんだよね。
堅気に寄っかかって
生活はしていたとは思うけども、
基本的には
堅気の方に迷惑はかけるな、っていう暗黙の掟があったと思うんだ。
で、
裏社会を乱すヤツは、
裏社会において制裁を加えられて、
それによって治安が保たれていたと思うんだよ。
でも、
それが
暴力団を排除するという流れで、
裏社会の管理が維持しきれなくなってきていると思うんだよ。
そうなると、
かえって治安が乱れると思うんだ。
ヤクザ組織から追放された破門・絶縁者や、
ヤクザとは無縁の知能犯、
海外マフィアや窃盗団、
若者不良グループなどが裏社会で幅を利かすようになると思うんだよ。
覚せい剤や振り込め詐欺、とか、
従来のヤクザの精神ではやらないような犯罪で
裏社会の和を乱す。
だから、
裏社会の治安を保つために、
任侠やくざを認めて、
任侠やくざが裏社会を管理できるようにするべきだと俺は思う。
表社会は、
当然、警察が治安を維持する。
警察は
法に基づいての行動だから、
(警察は、法は見るが人を見ない)
裏社会を隅々まで管理して治安を維持するのは難しいと思うんだ。
かえって、
ヤクザに任せた方がいいと俺は思う。
ヤクザは全て悪いというイメージを植え付けさせ、
ヤクザを弱体化させて、
意図的なのかどうかは定かではないが結果、
外国人マフィアや
ルールもへったくれもない犯罪集団を日本にのさばらせてしまっている。
少なくとも、
それなりに秩序ある日本のヤクザを必要以上に取り締まるよりも、
外国人犯罪集団対策をするべきだ。
そうしないと裏社会でも、
日本は外国に蹂躙されることになる。
何らかの勢力が
ヤクザを弱体化させ、
日本の裏社会を乗っ取ろうとしている、
または、
自由に活動しやすくしようとしている、
のではと、俺は、思えてならない。
(てか、もう表社会は乗っ取られてますからね。)
ヤクザの賭博だなんだってかわいいもんだわ。
ヤクザによる過ぎた行動があれば、
警察が取り締まればいいだけで、
ヤクザを暴力団として、
その存在を抹消しようというのは、
メリットというよりもデメリットの方が大きいと思う。
もう一度、
念のために言っておくが、
俺は任侠やくざは公認すべきだと思うが、
極悪非道な暴力団は徹底的に排除すべきだと俺も思う。
なので、
暴力団はダメだけど、
ヤクザはOKというような社会にすればいい。
やくざは暴力団という悪のレッテルを貼られ、
やくざというだけで差別されてきた。
私見を言えば、
やくざってのは、悪い集団ってわけじゃないんだよ。
中には極悪非道のやくざも居るだろうけど、
良いやくざも居ると思うんだ。
やくざは悪いってレッテルを貼られ、差別されてきた。
やくざってのは、
男気ある奴らの集まりみたいなもんで、
そういう奴らってのは、
法律とかよりも、筋とか男気とかを通す。
そのためなら、命を張って男を通す。
それが一般社会人としたら、犯罪者という括りにされるわけ。
でもさ、日本は侍の国だったわけだから、
(昔ならなおさら)誰でも任侠心みたいなのは大なり小なり持っていたと思う。
日本特有の過激さが有ったから、明治維新も成し得たわけで、
そういう原動力みたいなの、俺は必要だと思う。
赤信号とか車が居なかったら、渡ったりするんだから一般人だってさ、
法律を守らない輩はダメだってのを根拠にするのはズルいと思うんだ。
今の時代だって、社会からあぶれたヤツは居る。
そういうヤツらが男気に魅せられて、集う所があったっていいと思う。
法律に反してても、筋が通っていれば、俺は支持したい。
ま、つまりだな、
やくざってのは、
超砕けて言えば、
手前勝手の生き方や「カッコイイ」を貫くために、
法に縛られる事無く、自分をも犠牲に出来る存在であり、
その範疇で、やくざは世間様に迷惑かけないように生計を立てるのである。
だから、定義は、ヤクザそれぞれで非常にバラけてしまう。
例えば、女でカネを稼ぐのはカッコよくないとかさ。
良いやくざ(任侠ヤクザ)、悪いヤクザ、両方いると思うから、
悪いヤクザは根絶して、
「任侠やくざ」はさ、
日本の特殊な生業として認め、
正式に職業化してしまえばいい。
職業を聞かれて、
普通に、ヤクザです。って答えるのが当たり前な社会にする。
台湾では、幇(パン)が健在である。
(幇とは日本でいうヤクザのようなものである。)
台湾は特にそうだが、台湾にかぎらず、
アジアでは、
どこでも民衆の相互扶助組織としてのヤクザ的結社が
生き生きと活動しており、
民衆といい関係を結んでいる。
だから、
大親分の葬式に何万人もの市民が集まったり、
指名手配の殺人犯を
警察が一日だけ見逃したりする。
それはつまり、
民衆による相互扶助の自治が機能しており、
台湾の民衆社会が
健全である事もしめす。
そういった事を
非常識、非近代的と見なしてしまうのは、
西洋文化を盲目的に先進なものと思いこみ、
自らを毒してしまっているに過ぎないと俺は思う。
最近の日本人の悪い癖であるとも思う。
日本社会は、
かつて、
民衆の自治の中に
ヤクザという職業が組み込まれていた。
それは日本の伝統的な文化と言っても過言ではない。
日本の大切な文化でもあるのに、
ある一面だけを論い、
全てを否定するのは、いささか過激なのではないか。
市民にとっても、
ヤクザにとっても、
お互いにメリットがある関係を築く事ができるのであれば、
俺はヤクザを肯定したい。
そもそも、
ヤクザを辞めろと言われて、辞めるようでは、
ヤクザになんかなってはいない。
つまり、
ヤクザを根絶するのは実現不可能である。
で、あるならば、
皆が活きるような、共存共栄の日本社会を現実的に考えていきたい。
上記の文章は、
以下に記載した書籍等の資料を基に、
俺が作文しました。
以下、参考にさせて頂いた資料
(超長いです。)
(以下矢印まで「土竜の唄」より)
↓
当然、
処分された組員は
やくざのルールすら守れないんだから、
まともな職にも就けない。
結果、
外国人マフィアの抗争による誤射被害者に一般人が遭った時、
民法の「使用者責任」により
組織のトップに賠償請求できるという法律のことで
下っ端組員がシロウトを襲うと、
トップが責任取って一億とか二億とか払わされる事もある。
撃った撃たれたのドンパチの責任だけじゃなく、
2008年に暴力団対策法が改正されて、
末端組員が不当に資金を得たシノギに対しても、
トップが賠償責任に問われる事になった。
四次団体とか、
末端組織が多いとトップは顔も知らない末端組員の罪を被る事になる。
だから、
トップを守るために
やくざの規則が守れない組員は破門や絶縁にして処分している。
それでヤクザになる人数よりやめていく方が多い。
やくざ社会のルールも守れないデタラメ野郎は、
当然、
世間のルールなんて守れないから就職先なんてない。
食いぶちを失ったはぐれ組員はどんな悪事にも手に染める。
そこに目をつけたのが外国人マフィア。
今まで知り得なかった裏カジノの店や売春宿のアジトへ案内させ
強盗(タタキ)を働いている。
そういったマフィアは数万円の報酬で殺人を請け負う、ヤミの組織。
正体もろくに掴めない連中。
↑
(以上矢印まで「土竜の唄」より)
(以下矢印まで「近代ヤクザ肯定論 山口組の90年 宮崎学著」より)
↓
近代ヤクザ肯定論 山口組の90年 宮崎学著
戦前、
山口組は
労働力供給業(港湾の沖仲仕等)と
芸能興行という二つの事業で財政を支え、
成長していった。
戦後の闇市を牛耳っていた、
朝鮮人、
台湾省民、
中国武装集団などの第三国人武装集団と対抗しうるものは、
ヤクザしかなかった。
警察は、
日本人ヤクザの武装を黙認するだけでなく、
彼らの実力に頼ろうとした。
ヤクザもみずからの利権の防衛、拡大のためにも、
その要請を受けて立ち、
第三国人と闘った。
警察統計によると、
1946年(昭和21年)の在日朝鮮人の検挙数は、
日本人に比べて、
逮捕監禁で100倍、
公務執行妨害で60倍、
強盗で20倍、
傷害恐喝で10倍にも上り、
さらに翌47年になると、
実力闘争の規模が大きくなったのを反映して、
騒擾罪で検挙された者が日本人の100倍に上がっている。
襲撃してきた第三国人武装部隊とわたりあって
警察署を防衛したのである。
警察は
ヤクザの手を借りなければ
みずからを守れなかったのだった。
第三国人集団のなかに日本人が加わり、
日本人集団のなかにも第三国人が加わっていたという事もあった。
日本人ヤクザと第三国人は戦いの中からお互いに共通の何かを感じ、
深く交流するようにもなっていった。
山口組三代目の実行した3つのこと
1、組員の各自に職業をもたせること
2、信賞必罰を団結の基本とすること
(腰抜けや、弁舌の巧さだけで世間を渡ろうとする泳ぎの達者なやつは、
わたしには無用だということ)
3、みずから昭和の幡随院長兵衛になること
(ちゃんとした職業をもち、儀に強く、情けに弱く、
つねに庶民の側にたって権力と闘うことを目標にするということ)
日本人ヤクザvs在日愚連隊
ヤクザというのは、
日本社会そのもののありかたに関わって生まれてきたもので、
日本社会が円滑に運営されていくうえで必要な社会的装置なのである。
そうした社会的役割をふまえて、
ヤクザは、はっきりとひとつの職業、生業として成り立つものだった。
日本社会にビルトインされた存在なのだ。
アウトローではあっても社会にビルトインされている。
それが日本のヤクザの特徴なのである。
それに対して、愚連隊はそうではない。
愚連隊はけっして職業にはならない。
生業としてやるものではない。
社会的装置でもなく、
社会全体にとっての社会的役割ももっていない。
犯罪社会学者は、
「遊び」によって結合した集団だと考えているようだが、
私はかならずしも「遊び」でくくれるものではないと思う。
だが、
職業、生業ではないのは確かである。
ヤクザは商売だが、愚連隊は商売ではない。
1967年(昭和42年)に
警察庁から
兵庫県警刑事部長に
送り込まれてきたキャリア官僚の鈴木達也は
山口組壊滅作戦の最終達成を任務としていたが、達成できなかった。
毎年の組としての方針を打ち出し、
団結を固める儀式である山口組の「事始め」に、
所轄の警察署長が列席するのが習わしになっていたというのだから、
「壊滅」といっても腰が据わらないのは当然であった。
ヤクザ壊滅作戦は
むしろ中小ヤクザに打撃をあたえ、
かえって寡占化を促進した。
山口組の場合、
港湾荷役、芸能興行という分野から放逐されることによって、
資金源を断たれることによって、
組のシノギの構造、体質を変わらざるをえなかったのだ。
つまり、
企業社会における「負のサービス業」にシノギを依存していくことによって、
もともとの基盤であった地域社会と労働世界から
決定的に分離していくことになっていったのである。
暴対法は、
広域ヤクザの合法的活動の幅を狭めることによって、
それらがマフィア的な犯罪組織へと変質するのをむしろ促進していった。
利権ビジネスというのは、
利権がある程度の大きさまでに成長すると、
ヤクザの手から取り上げられるように出来ている。
たとえば、
パチンコの利権を例にとってみればわかる。
パチンコは
在日コリアンが中心となって
新しい産業として確立されてきた。
そこに、
在日社会のような周縁的な部分を統括していたヤクザが、
用心棒や景品買いなどを通じてからんできて、利権を確立した。
ところが、
パチンコ産業が産業として大規模化し、
それにともなって利権も大きくなってくると、
警察はヤクザとの関係を摘発するようになる。
そして、
統括をヤクザから警察に転換するように促していくのだ。
さらにチェーン展開が大々的におこなわれ、
1兆円産業になったところで、
警察は最終的にヤクザから利権を取り上げて、
みずからの外郭団体が
ヤクザに代わって統括するようになったのである。
こうした関係はほかの利権でも、みんな同じである。
どんな産業でも、
新しく興った産業は、
初期にはトラブルが多く、
リターンが期待できる分リスクも大きい。
だから、
初期はヤクザをかましてやらせておいたほうが、
手っ取り早くて安上がりなのだ。
やがて、
うまく成長してきたら、
官庁主導で警察を使ってヤクザを排除し、
利権を取り上げて、
今度はそれを自分たちで使う。
これが資本と権力の常套手段なのだ。
昔は、
「山口組が何かをやると近所の人が来はったもんや」
「事務所の前を掃除しとる若い者と
通りがかりの近所の人たちが挨拶しあっていたもんや」
「祭りにしても地蔵盆にしても、
組のもんが世話焼いて、町内いっしょにやりよったもんや」
と山口組の古参組員は語っている。
中学時代から非行に走り、
少年刑務所に収容されたりする若者がいる。
そういう行為を繰り返す若者は、
ヤクザになるのが普通だった。
ところが近年、
そういう若者がヤクザになっていない。
これはヤクザのリクルートが
機能しなくなっているひとつのあらわれであった。
こうした若者達が
ヤクザに惹きつけられることがなくなり、
またヤクザ組織のほうも、
こうした若者をそれほど必要としなくなっていたのである。
近年、カタギの人間がヤクザの商売に進出し始めた。
それは
表と裏、
クリーンとダーティ、
シノギとビジネスとを分ける境界線が
はっきりと引けなくなってきたということである。
ヤクザが表の社会、
クリーンな領域、ビジネスに手を出し、
市民のほうが
裏の社会、ダーティな領域、ヤクザのシノギだったものに
手をだしてくるという
両方から進んでいったのであった。
底辺社会、
下層社会、
被差別社会から生まれてきた、
共同体としての近代ヤクザは、
その社会的基盤を失っていったのである。
最近の暴力団は、
構成員の数は減ってきているが、
準構成員の数が増え、
2006年には、
ついに準構成員の数が
構成員の数を上回ったとしている。
格差が拡大していくなかで、
職に就けず、
社会的にドロップアウトしていっている若者が確実に増えている。
こうしたドロップアウト層が
集団を形成して
違法行為をおこなう例が増えているのも事実である。
「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」といわれるものの多くは、
こうした格差社会から脱落した青年層によっておこなわれている。
アウトローの供給源は
潤沢になりつつあるといわなければならない。
そして、
ヤクザ組織は
こうしたドロップアウト集団を
直接みずからのもとに吸収するのではなく、
間接的に囲いこむ配置をとっているのだ。
警察の取り締まりが厳しくなっているから、
ヤクザが自分たちで
直接、振り込め詐欺グループを結成し運営することはやりにくいし、
ほぼできないといっていい。
だから、
外部のグループをコントロールしようとするわけだ。
一方、
若者のドロップアウト集団のほうでも、
ヤクザはさまざまなノウハウ、コネクション、パイプをもっているから、
提携するメリットは大いにある。
双方の利害が一致して、
ヤクザがコントロールする外部詐欺グループができあがるわけである。
ヤクザの側から見れば、シノギのアウトソーシングである。
抗争などで動くコア組員は
ますます高齢化し内部化する一方で、
振り込め詐欺、リセット屋、口座屋などで
手足となって働く実働部隊はますます低年齢化し
外部化――フリーター化・派遣化――していっているというのが
最近のヤクザの姿なのだ。
これは、
スーパーフラット社会の一部が崩れ、
「下流化」があらわれ、
格差社会がふたたびやってきて、
アウトローの供給源が再生産されているにもかかわらず、
そうした状況においても、
近代ヤクザがもっていた社会的基盤を再生することができないということを
示している。
近代ヤクザは終焉し、
もはや甦ることができないことが、
ここからもわかるのである。
ヤクザのマフィア化を促進する国家権力
シノギの経済的構造において
近代ヤクザの枠を脱し、
社会的関係において
近代ヤクザがもっていた社会的基盤から
疎外されていくことによって進んでいったヤクザの変質に対し、
警察・検察に代表される国家の政治的権力は、
それを取り締まるというかたちを通じて、
むしろ、
それをマフィア化の方向に促進していく役割を果たしたのであった。
ここでことわっておかなければならないのは、
近代ヤクザの変質と警察の取締の変化と、どっちが先かという問題である。
ヤクザの側は、
よく、警察がワシラの稼業をできんように縛ってしもうたから、
組の下のほうがやむをえず犯罪に手を染めるようになったんや、
という意味のことをいう。
これには一理ある。
だが、
一方で、
ヤクザが変質して市民社会に裏口から入ってきたからこそ、
取締をそれに応じたものにしなければならなかったのだ、
と警察の側はいう。
これにも、実は一理あるのだ。
私はどちらも正しい、と思う。
だが、
どちらも、
第一段階の認識が欠けているのだ。
ヤクザの稼業をできなくしてしまったのは、
国家の政治的権力の力ではなくて、
資本の社会的権力の力だったのだ。
そして、
警察・検察といった国家の政治的権力は、
資本の社会的権力とがっちりリンクしているのだ。
こうした関係のなかで、
資本の社会的権力が
強いヤクザの変質を、
国家の政治的権力が立法や取締を通じて促進し、
固定し、
決定的なものにする、
ということになっていったのである。
ヤクザの変質を
決定的なものにした立法が暴対法であった。
暴対法の思想は、
暴力団が違法行為をおこなうかいなかにかかわりなく、
暴力団という存在そのものが社会の敵であり、
市民自身の手によって、
暴力団が生きていけないような社会を作り出すというものである。
暴力団とは何か。
「その団体の構成員が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを
助長するおそれのある団体」
をいうと規定されている。
この規定はまったく形式的なもので、
ここから、
①組員が生計の維持に組を利用していること、
②前科をもつ者が一定の比率を占めていること、
③組が階層構造に組織されていること、
という3つの形式的基準を満たす団体が指定暴力団とされることになる。
暴力団に指定されたというだけで、
たとえ合法的な行為であっても警察が取りしまりやすくしたのである。
この法案の中身を知ったとき
私は憲法に定められた基本的権利を蹂躙するものだ、と思った。
山口組、
会津小鉄、
工藤連合草野一家(現・工藤會)といったヤクザ組織もそう思った。
そこで、
この三者が、
1992年(平成4年)から翌年にかけて、
暴対法違憲訴訟を提起した。
ヤクザが憲法を掲げ、
人権を主張して裁判を起こすというのは画期的なことだった。
関東の住吉会、稲川会などは、
「自分たちは暴対法のいう暴力団ではない」という立場で、
犯罪組織とヤクザとを区別しなければならない、
と主張したのに対し、
山口組は、
暴対法は
「結社の自由」
「法の下の平等」などの基本的人権を侵害するものだ、
と主張したのである。
権力が勝手に決めた暴力団という範疇にあてはまる者は、
合法的な行為でも摘発されるというのは、
「ヤクザに人権はない」ということである。
こんな法律は憲法違反だ、というのは筋が通っている。
だが同時に、
法や権力が
自分たちに味方してくれることなどありえないということも
わかっていた。
組内でも訴訟に反対の意見も強くなり、
阪神淡路大震災にともなう社会的混乱を理由に
訴訟を取り下げることになった。
(P367あたりを中心に要約した。ただし、本全体の趣旨を考慮にいれて。)
戦後、
日本社会において、
法や国家権力が確立するまでは、
権力側はヤクザを利用し、
ヤクザも
自分たちの縄張りの中や
時に社会に進出したり、
臨機応変になるべく合法的に活動していたが、
今日、権力側がヤクザを用済みのものとして、
ヤクザの存在自体を社会から排除しようとしている中では、
ヤクザは合法的な手段ではなく、
非合法な活動で地下に潜って生きていくしかないのだ。
これは、
今まで目に見えた存在であった日本ヤクザが
日本マフィアになっていかざるをえず、
かえって治安の悪化を招く結果を孕んでいる。
ヤクザをやめてカタギになるというのは、
まことに非現実な話で、
社会からはみ出たものがいるからヤクザになるのである。
その受け皿としてヤクザが機能していたのだ。
↑
(以上矢印まで「近代ヤクザ肯定論 山口組の90年 宮崎学著」より)
(以下矢印まで「ヤクザと日本-近代の無頼 宮崎学著」より)
↓
市民の敵、
社会の敵であるとして否定しようというのが、
法曹界の人間達のヤクザ観である一方、
本来のヤクザは、
むしろ民衆の味方、部分社会の味方であったというヤクザ観もあるのだ。
かつては、
ヤクザといっても、
別に
違った世界にいってしまった人たちではなくて、
そのへんに生きている人たちの世界の一部、
一部だけど
ちょっと変わったところに暮らしている人たちだったのだ。
月給や日当で暮らしている人たちにとっては、
他人の面倒をみてやってその稼ぎのピンをはねたり、
口利きをしてやって口銭を稼いだり、
博打で他人のカネをまきあげたり、
犯罪すれすれのことをやって金儲けをしたりという彼らの生き方は、
不安定であぶなっかしい、
自分たちとは違う生き方として区別されていた。
また、
共同体が彼らヤクザに期待したのは、
ルーティンの秩序が何らかの形で害されたときに、
それをなんとか処理して
日常の秩序に
ふたたびもどすという非日常的な役割だったのである。
欧米のアウトロー(マフィア)と日本のヤクザでは違う点があった。
それは日本のヤクザはアウトローなのに、合法的名存在である点である。
ヤクザは日本の社会に受け入れられていた。
その事に外国人は驚きを隠せない。
事務所には組の看板を堂々と掲げ、
組に行けば、
組員の動向が一目でわかるほどのオープンな存在であった。
しかし、
そうした露出も
暴力団対策法ができてからは影を潜めてしまっている。
近世ヤクザが
警察権を代行する権限をあたえられたり、
芸能興行権と小屋営業権をあたえられたりしていたのは、
もともとヤクザが
共同体の警察機能を実際にになっており、
地域社会的権力として機能していたのを、
藩権力が追認し、
それを利用したからにほかならない。
弱体化したり未成熟だったりした政治的権力が、
ヤクザの社会的権力を取り込み、利用したのだ。
幕末維新期に、
草莽隊として藩権力の別働隊となって働いたアウトローは
今度は、
農民騒擾・民権運動激化の媒介者にして尖兵として登場することになった。
負の側面でなく、自治としての談合があった。
談合の目的としては、
入札価格を下げていくのを防ぐ事と、
行き過ぎた業者間競争を抑えて、
全請負業者の共存共栄を図る事にあった。
競争に強い業者がいつも落札していれば、
弱い業者は倒産に追い込まれ、
業界は寡占化してしまう。
倒産に追い込まれそうになれば、
ダンピングや談合破りに出ることにもなる。
そうしたことを防ぐために、
談合で弱い業者にも落札させる機会をつくり、
土建業界という部分社会を相互扶助的に運営していくわけである。
談合は過当競争によるダンピング、
それがもたらす手抜き工事や過重搾取を防止するために必要な調整として、
かつては、
ただ談合をやっただけでは違法と見なされていなかったのだ。
山口組は、
神戸の劇場の治安維持を引き受けるとともに、
大阪で多くの芸能者をかかえている、
今では有名となった芸能プロの吉本興業と結びついて、
用心棒兼興行仲介者の役割を引き受けていく。
そして、
山口組興行部として
浪花節を中心とした芸能興行ビジネスを行なっていったのである。
最近、
吉本興業の芸人と山口組との関係が、
いまさらのように取り沙汰されているが、
もともと吉本に限らず
芸人の側はヤクザなしには活動できなかったので、
密接な関係があるのは当たり前だったのだ。
警察が機能しなくなっていたとき、
彼らヤクザこそが街の保安官、闇市自衛隊として、
勝ち誇る「第三国人」武装集団と命を張って対決したわけである。
こうした姿は
神戸市民の喝采を浴び、
英雄としての山口組は
長く神戸市民の心の中に刻印されていたのである。
だから、
1959年(昭和34年)に
組長の田岡一雄が
神戸水上署の一日署長を務めたのも不思議ではなかった。
日本の社会では、
法の支配が確立していない社会の周縁部分の秩序を守るのは
ヤクザの役割と決まっていた。
だから、
山口組などのヤクザが
第三国人側と実力対決したのだ。
そして、
それは露店を出している零細な市民の営業権、
ひいては生活権を守る、
生きるための実力闘争だったのだ。
もともと下層社会において、
ヤクザと在日朝鮮人、台湾省民、中国人は
いい意味でも悪い意味でも、
混じりあい、
重なり合い、共生していた。
だから、
闇市をめぐって実力対決しているときでも、
それぞれがそれぞれの仲間のために闘っているものとして、
心が通い合っている面があった。
だからこそ、
1948年(昭和23年)4月に、
朝鮮人学校閉鎖命令に端を発する「阪神教育闘争」のなかで、
占領軍兵庫県軍政部が非常事態宣言を発令して在日朝鮮人を弾圧したとき、
山口組は朝鮮人戦闘分子を匿い逃がしてやったのである。
いま、
山口組幹部の少なからぬ部分を
在日コリアンが占めているのも、
理由のないことではないのだ。
田岡が芸能人を大事にしたのは、
興行師としての職業倫理からだけではない。
近代になっても社会の端っこにおかれて、
憧れの的でありながら蔑視されていた芸能人たちを、
田岡は自分たちと同じような境遇にあるものと見て、
仲間として受け入れていたのだ。
芸能記者をしていたとき、
初めは山口組が芸能人を食い物にしているのではないかと
反感を持っていたルポライターの竹中労は、
取材を重ねる中で、
認識を改めていった。
竹中は、
山口組・田岡一雄と芸能人・美空ひばりたちとの間には
「管理・収奪するものとされるものという、陰惨な構図はなかった。
意地を悪く勘ぐっても、利害をわけあう同盟軍の親密さしか窺えなかった。」
(「完本 美空ひばり」)と書いている。
山口組興行部が発展して設立された神戸芸能社は、
ギャラの払いがいいので有名だった。
また、
約束を守るし、
トラブルなども山口組が親身になって処理してくれた。
だから、
芸能人たちも全幅の信頼をおくようになったのである。
この人間的な要素が、
きわめて人間的な産業である芸能産業には不可欠であり、
それを持ち合わせていたところに、
田岡の非凡なところがあった。
台湾では、幇(パン)が健在である。
(幇とは日本でいうヤクザのようなものである。)
それは台湾の民衆社会が健全だということだ。
台湾は特にそうだが、
台湾にかぎらず、
アジアでは、
どこでも民衆の相互扶助組織としてのヤクザ的結社が生き生きと活動しており、
民衆といい関係を結んでいる。
だから、
大親分の葬式に何万人もの市民が集まったり、
指名手配の殺人犯を警察が一日だけ見逃したりするわけなのだ。
そういう結社が広く活動できるのは、
民衆の間に日本のような国家と民主主義に対する幻想がなくて、
部分社会の相互扶助が生きているからである。
自治が息づいているからなのだ。
そして、
幇は、
そうした民衆が営んでいる相互扶助と自治のひとつの重要な形態なのだ。
↑
(以上矢印まで「ヤクザと日本-近代の無頼 宮崎学著」より)
(以下矢印まで「やくざと日本人 猪野健治著」より)
↓
やくざと日本人 猪野健治
ヤクザとはなにか――と問われた場合、
たいていの人は「暴力団」「社会のダニ」と答える。
では、
暴力団とはなんだろうか。
法務省法務総合研究所編の「犯罪白書」
(一九六四年(昭和三十九年)版)
は、
「集団的にまた常習的に暴力的不法行為を行い、
または行うおそれのある組織、集団」
と規定し、
その範疇に入る集団として、
博徒・暴力テキヤ・青少年不良団(グレン隊)の三つをあげ、
「このほかにも、
売春暴力団・港湾暴力団・会社ゴロ・暴力手配師などと呼ばれる
各種の集団がある」
と述べている。
歴史は
ヤクザが
労働運動、
左翼運動、
部落解放運動を押しつぶす突撃部隊となったことを証明している。
親分が
絶対的権力をもつヤクザ集団においては、
親分の意志は即憲法である。
親分は
例外を除き
一定の合法的企業を経営し、
子分・身内の生活を守る義務を負っている。
また、
ヤクザ稼業は非合法行為をともなうため、
集団の存続を維持する上では
権力の政治要請には迎合せざるを得ない。
そこに親分――ヤクザ集団の反動性がある。
しかし、
ヤクザ集団は、
その反面、
反権力的性格をもっている。
戦国末期におけるヤクザ(カブキ者)は、
武士社会に対する戦闘的抵抗者であったし、
江戸時代に入っては、
被支配者――町人の側に立って、市民兵的役割さえ果たした。
幕末においては
半農博徒が農民一揆の先頭に立ったし、
明治維新では、
尊王・佐幕双方のゲリラ隊として、
戦闘に加わっている。
自由民権運動の壮士団の主流も、博徒系であった。
大正以後にあっては
社会主義運動・部落解放運動に
一部のテキヤ・博徒が加わっている。
しかし
彼らは
すべての社会運動史から不当にも抹殺されている。
ヤクザ集団の構成層は、
いつの時代においても、
社会から疎外された被差別階層であった。
ヤクザの反権力性は、実はそこからきている。
ヤクザのいう「任侠道」とは、
階級意識の感性的表現にほかならない。
ヤクザ集団の構成層は、
封建時代においては
下級武士、
浪人、
人足、
農民、
職人等であり、
明治以降は
没落士族、
中小鉱山・港湾・土建業関係者、
土方、
農漁民、
職人層の一部であった。
第二次大戦後は、
これに未開放部落出身者、
在日朝鮮人、
在日中国人(旧台湾省民)の極貧層が加わる。
ヤクザの反権力的行動は、
当該組織の親分がある種の正義漢または、
階級意識に目ざめたときに起こる。
親分の決断なくしては、
ヤクザが集団行動をおこすことはないからである。
だが、
ヤクザが集団蜂起するに至るには、
政治権力の腐敗または重大な失政により、
民衆の生活が破綻し、
ヤクザの寄生する基盤が
失われる等の客観的条件の成熟がともなわなければならない。
それらの客観的条件が成熟し、
親分が決断に踏み切ったとき、
ヤクザ集団は、
体制がもっとも恐れるゲリラ部隊に豹変する。
幕末・維新へかけての農民一揆や群馬事件、
加波山事件、秩父近民党事件等がそれを証明ずみである。
ヤクザ社会における親分子分の絶対服従関係は、
本来は封建思想とは関係はない。
他組織との間に
いつ衝突が起こるかもしれない彼らの稼業では、
なによりも、
いつでも戦い得る団結と統制が必要である。
それらの要求を
もっとも直截に充足するシステムとして、
親分子分制がある。
ヤクザの伝統的な一連のセレモニーの祭壇には、
向かって右から
八幡大菩薩、
天照大神、
春日大明神
と墨で大書きした掛け軸が飾られる。
新田義貞が使用した兜鉢にも、
同じく右から
「八幡」
「天照」
「春日」
の文字が大きく彫り込んである。
八幡、春日はともに
中世武士が武運長久を祈った武神であり、
天照は民族神である。
襲名披露や親子盃のセレモニーも
武士の官位就任式・元服式と変わらない。
戦前派の親分は、
最近まで「博奕武士」という言葉を使っていた。
これは、
ヤクザの始祖が
下級武士、浪人であったことの証左である。
ヤクザは
第一に、
抜群の団結力と戦闘性をもっており、
その行動は迅速果敢である。
第二に、
浮浪者・乞食のように「同情的ほどこし」はぜったいに受けない。
必要とあらば、腕すくでも奪い取る。
第三に、
彼らは、大都市の繁華街に堂々と事務所をかまえ、
一定の仕事と役割を分担している。
第四に、
仲間が殺されたり死んだとき、黙ってはいない。
かならず報復するか
オトシマエをつけ、葬式をだしてやる。
第五に、
優秀な情報網をもち、武装している。
警察庁の調査によれば、
一九七〇年(昭和四十五年)度中の暴力団の不法収入推定額は、
麻薬覚醒剤の二五億四千万円をトップに総額五七億四千万円にのぼった。
この推定額は、
検挙された事犯からの推計で、
実収入は、
この数倍もしくは数十倍に達するという。
また、
組員の経営する合法的企業数は
露店 五八二五(店)、
飲食店 三四七二、
風俗営業 二六二三、
建設業 一三六一、
金融業 八五四、
物品製造販売業 八一五、
その他となっている。
これらの企業中には資本金数億円、
月間売上げ一億円以上の規模のものもある。
建設業分野について見ると、
一・二部上場の巨大会社を除けば、
全国各都道府県中の上位三〇社の業者のなかに
必ず一社以上の組系企業が入っている。
組員三千人以上の大組織では、
百社以上の企業を経営しているのが普通である。
ヤクザを経済的視点からのみとらえるならば、
寄生的雑業(非合法・反非合法)を経営しながらも、
その結束力と高収益性によって、
独占資本の利潤をけずりとる存在になったといえる。
独占資本にとってのヤクザの有用性は、
利潤追求の過程での協力者としてのみあった。
また、
政治にとってのヤクザの有用性は、
反体制諸勢力に対する暴力装置(アウトロー機動隊)、
機密政治のある種の仲介役、院外圧力弁、選挙協力者としてであった。
だが、
もはや独占資本・政治とヤクザとの蜜月の時代は去った。
その条件としては、
第一に
日経連方式の近代的労務管理の浸透によって、
暴力的スキャップ(スト破り)は無用となったこと、
第二に
警察力の増強、
自衛隊の治安出動体制の確立、
情報機関の拡充が完了したこと、
第三に
総評、
同盟等の大労組連合の革命性の喪失と日本共産党の体制内野党化の進行、
第四に
自民党内の当人派の衰退、消滅と官僚派政治体制の確立、
第五に
ヤクザが独占資本の協力者から対立者に転じたこと等があげられる。
一九六四年(昭和三十九年)以来の
容赦のない継続的な”ヤクザ狩り”は、
以上の状況変化の必然的結果である。
したがって今日、
ヤクザは完全なアウトローとしてのみ存在する。
取り締まりの側にある法務省刑事局の東條伸一郎検事は、
一九六四年(昭和三十九年)以来の取締り段階をふりかえって、
「暴力団は死滅したのではなかった。
死滅どころか衰微もしていなかった。
一つの組織が解散壊滅しても、
構成員が消滅したわけではなかった。
その空隙には
新たな組織が生まれ、
あるいは、
隣接の組織が侵入し、彼等を吸収した。
暴力団の温床となる社会環境はそのままに残った。
いやむしろ高度成長による富の蓄積と
昭和元禄という言葉に象徴される社会文化の爛熟の中に
異常なまでのギャンブル熱が生まれ、
性関係に典型的に見られるように、
現在の秩序が弛緩し、
基本的な価値観は見失われ、
ヤクザを扱う映画が大当りする現象にみられるような暴力礼讃の気風が
瀰漫(ひまん)した。
これらは暴力団組織にとって有利でこそあれ、
不利な社会環境でないことは明らかである」
(『警察学論集』一九七一年十一月号)と、述べている。
解散組織の組員は、
前歴に加えて学歴のない者や手に技術をもたない者が多く、
一般企業への就職、社会復帰はむずかしい。
そこで事業をもたない大部分の者は、同類集団へ再編されていく。
さらに差別分断支配を骨格としている現社会体制は、
大量のヤクザ予備軍を生産しつづけている。
また、
現体制がつづく限り、
社会の内側に派生する
合法的方法では処理できない需要が消滅することもない。
ヤクザをやめようとする者に行きどころがなく、
ヤクザでない者をヤクザに追いやる社会状況がある以上、
ヤクザがなくならないのはあたりまえである。
組の形成過程を見ると、
はじめは必ず「無」から出発している。
まっとうな方法では無から有を生み出すことはできない。
そこで、
もっぱら債権の取り立て、
賭博・用心棒・景品買い・手品師・管理売春等を資金源とし、
それによって得た資金を合法分野に投資する。
しかし
合法的企業に進出したからといって、
従来の非合法あるいは反非合法的営業活動をやめることはできない。
組は、
組自体の拡大衝動を相互にもっており、
たがいに侵略、進出にそなえ戦力を培養しなくてはならない。
新規加入分子への保障、
抗争事件の不意の出費、
義理交際の経費の確保をはかるためには、
非合法あるいは半非合法的営業活動をつづけざるを得ないのである。
ヤクザ組織の組員たちは、
なぜ「一匹狼」とはならずに「組」へ加入したのだろうか。
日本の社会はタテの関係だけが発達し、
ヨコの関係があまり発達していない。
タテの関係とは親分子分の関係である。
この関係は政財官界から文化界、一般家庭までおよんでいる。
地域住民を代表するはずの市町村議員は、
しばしば市町村長または県議の子分であり、
市町村長または県議は、
知事または代議士の子分であったりする。
こうしたタテ社会の源は、
江戸時代に固定化された身分差別に求めることができる。
階級底部にあって、
差別と偏見にしいたげられた人間は、差別のない社会を求める。
貧困ならなんとかまともな生活をしたいと思う。
これは、人間としてあたりまえの感情である。
ヤクザの世界は、
反社会的なかたちによってではあるが、
それらの不満や欲求を充足する機能を果たしている。
第一に、
ヤクザ社会には、
実力・才覚・稼業歴による区別はあっても、
本人の才能とは無関係な国籍・貧困・出身等による身分差別はあり得ない。
それはヤクザ組織が前述したごとく、
被差別階層で構成されている故である。
第二にヤクザ社会は、
組長をオヤジ、
組長夫人をアネさん、
先輩を兄貴、
子分を若い衆と呼ぶように、
(擬制ではあるが)
一個の家族の形態を整えている。
第三に、
私設憲法(組の会則・掟)があって、
これによって一定の秩序が守られている。
第四に、
組に入ることで、
それまで微小だった個人の力が増幅され、
仲間との連帯意識が強まり、
組員として「顔」をきかせることができる。
第五に、
組に入ればまず飢えることはない。
よい悪いではなく、
被差別階層の非意識層は、
組へ入ることによって、
ぎりぎりの自己解放を得るのである。
欧米のギャング組織は、
殺人請負を含む犯罪市場の元凶であり、
地獄色の利潤追求集団である。
その組織は、
潜行的かつ秘密結社的で、
彼らは「いくらもうかるか」によって行動の規模・種類を決定する。
犯罪事業の専門家である彼らは、
義理にからんで無報酬の集団行動を起こすことは絶対にない。
日本のヤクザは、
義理人情にからんだ無報酬の仕事を多くやってきたし、
いまもなおその伝統は残っている。
だが、
ヤクザの合法企業面への警察の追求がなお継続されるとすれば、
彼らは欧米ギャングなみのシンジケートに転化をはじめるだろう。
(ここまでの記述は
一九七三年七月のものである。以後は二十年後に記載したものである。)
↓
警察庁は一九八六年(昭和六十一年)十二月、
次長通達として
「暴力団総合対策要綱」を制定した。
これは暴力団対策の憲法というべきもので、
第一次頂上作戦の行動綱領となった
一九六四年(昭和三十九年)一月の「暴力団取締対策要綱」(次長通達)を
二二年ぶりに見直し、
強化発展させた通達である。
「暴力団の定義は集団的に、
又は常習的に暴力的不法行為を行うおそれがある組織」と従来どおりだが、
新要綱では、
(一)
組織の持つ暴力を
直接に又は間接に行使し、
覚せい剤、賭博、ノミ行為、恐喝等主として非合法な資金源に依存している、
(二)
組織の結束を図るために、暴力による内部統制が行われている、
(三)
組織形態、行動様式等の多くは封建的家族制度を模倣して形成され、
また、顔とか仁義とか呼ばれる彼ら特有の倫理が存在している
――とその特質を明示している。
また新要綱では暴力団の種別が修正された。
それまでは、
博徒・テキ屋・青少年不良団(ぐれん隊)の三系統のほかに
専業領域によって
不良土建
不良興行
港湾暴力団
炭鉱暴力団
売春暴力団
特殊暴力
(総会屋・会社ゴロ・
新聞雑誌ゴロ・政治ゴロ・社会運動標榜ゴロ・事件屋・不良探偵社)
の九種に区別されていたが、
新要綱では博徒・テキ屋・その他の暴力団の三種別とした。
「ヤクザの合法企業面への警察の追求がなお継続されるとすれば、
彼らは欧米ギャングなみのシンジケートに転化をはじめるだろう」
という二十年前の私の警告は、現実のものとなりつつある。
ヤクザは欧米のマフィアのように百パーセントの秘密結社ではない。
事務所には公然と代紋入りの看板が掲げられ、
一歩中に入ると組員の序列と異動を示す名札まで掛かっている。
抗争等で事件を起こした組員のことごとくが自首している。
しかし暴力団新法施行後は、状況が変わってきた。
本家組長以下、
直系組長の氏名がよく知られている広域組織の一次団体は別として、
二次団体、三次団体以下の組織は組の看板をはずし、
組員の名札も撤去している。
中には事務所がどこに移転したか不明のところもある。
それは組関係者が経営する合法企業でも同じ事で、
警察の干渉や圧力で営業活動が困難になった例が少なくない。
そうなると別の会社をつくって地下潜行をせざるを得なくなるわけで、
すでにその兆候は表れている。
これからのヤクザは、二つの方向に流れていく。
一つはフロント企業を通して、
経済界の深部に深く食い込み浸透していく経済志向型であり、
いま一つは
従来型の市民社会に根ざした資金源にしがみつく伝統指向型である。
この二つの流れとは別に、
完全マフィア型の新勢力が台頭することはほぼ間違いない。
この新勢力は、
ヤクザ組織から追放された破門・絶縁者及び、
組とは無縁の知能犯、
それと日本に流入しつつある海外マフィアとの連合組織である。
彼らは日本の有力組織が麻薬を禁止している間隙を突いて、
麻薬密輸、密売を主力に
パスポート・各種証明書偽造等の新犯罪に
手を染めていくものとみてよいだろう。
そして、
その外側には
新たな無数のぐれん隊集団が形成されていくと私は予測している。
だからといって私は、
ヤクザの存在を是認しようというわけではない。
ただ日本のヤクザには約五百年の歴史があり、
長い間、権力・市民社会の双方から利用されてきた。
ヤクザはまぎれもなく一定の役割を果たしてきた。
決して百パーセント社会の敵でありつづけてきたわけではない。
その歴史や構造を洗い直すことなしに、
一片の法律だけで押しつぶしても、
かえって副作用のもたらす害毒のほうがひどくなる
――と警告したいのである。
一九九三年十月
↑
「やくざ」
「ばくち打ち」
「渡世人」
「遊び人」
といった言葉が登場するのは江戸中期以降で、
それ以前のヤクザ類似集団は、
カブキ者(衆)、
奴(やっこ)(旗本奴、町奴)、
男だて(男ダテ、男伊達)、
キホヒ組、
六法者(ろっぽうもの)、
テンガフ者、
トヲリモノ、
タテ衆、
伝法、
侠客などと呼ばれていた。
ヤクザが歴史に登場するのは、室町時代――戦国末期とされる。
この時代、戦乱は絶えることがなく、
その先頭に立つ雑兵の意気はさかんであった。
彼らは
チャンスさえあれば上位に立てるという気概をつねに抱き、
大酒をくらい、
たがいに徒党を組んで勢威をきそった。
その先鋭部分が、
異風をこらし、
暴れまわったカブキ者だったわけで、
彼らの発散する下剋上的熱気は、
冷やめし組の大名をもまき込んでいく。
戦国末期のカブキ者は、
武家の奴僕(仲間・小者)、
下級武士(足軽)を
核とする武家社会の内側に生じた八方破れの抵抗集団であった。
自力で叛乱を起こす力もない下級大名は、
積もる不満をカブキ者を膝下に抱えることで、発散させたのである。
だから彼らの行動は、
「風のふくまま」「気のむくまま」であり、
たんに「男をタテル」ことを売りものにするにとどまった。
地域社会に深く根をおろした、
今日のような職業ヤクザの原型が形成されるのは、
江戸時代に入ってからであり、
賭博が組織化され、
専門家(ヤクザ)によって経営されだしたのは、
やはり徳川幕府成立以後である。
祭礼などの寺社での賭博は大目に見たりしてもいた。
近代ヤクザの登場
吉田磯吉の登場
単純博徒から近代ヤクザへ
国語辞典(角川版)の「侠客」の項を引くと、
「任侠を生きるたてまえとする者」
「多くは正業がなく、ばくち、けんかなどを専門にするやくざ者。男だて」
とある。
また広辞林は、
「任侠」を、
「弱い者を助け強い者をくじけさせる気性に富むこと。おとこ気」
と解説する。
辞典が語意だけを解説するものであるとすれば、
この程度でよいのかもしれないが、
実際には「侠客」とは、
階級底部から発生した特異な暴力的叛乱分子であり、
それ以上のものでもそれ以下のものでもない。
だから「侠客」即「ヤクザの親分」と解釈してもよいし、
それを「間違いだ」と反論する根拠もない。
ただ「おとこ気」を売りものにする「侠客」は、
それ故にソロバンぬきの「義侠的行動」をとることがある。
しかし、
これも自らが寄生する生活基盤(縄張りまたは勢力のおよぶ業界)を
固定的に確保(または拡大)するための
「特殊なアフターサービス」と言えるかもしれない。
「現代ヤクザの鼻祖」といわれる吉田磯吉は代表的な「侠客」の一人である。
石炭を輸送する遠賀川(おんががわ)の川ひらたの船頭から
叩きあげた吉田磯吉は、
最盛期の筑豊炭鉱に君臨し、
のち中央政界(衆議院)に進出、
十七年間にわたる代議士生活を送った。
また、
ヤクザ(博徒)の「業態」上の「近代化」の先鞭をつけたのも、
吉田であった。
すなわち明治初期までのヤクザは、
生活基盤を賭博や単純な用心棒に求めていたが、
吉田は、賭博は「遊び」以外にはせず、
胴元になってテラをとったりすることはなかった。
吉田磯吉の勢威は、出身地の北九州では絶大なものがあった。
吉田が他界した昭和十一年(一九三六年)一月末、
若松市で行なわれた葬儀には、
全国からかけつけてくる会葬者だけで約二万人、
それを沿道で見送る者数万、市内の商店は全店休業した。
若松地方には、
古くから数十人の顔役、親分があり、
たがいに対立しつつ、
流入してくる新興勢力と流血の争闘をくりひろげるというように、
とても警察力の手に負えるものではなかった。
そこに「数十人の顔役・親分」と
新興勢力を「軍門」に降し、
若松を「平定」する大親分登場の必然性があり、
それに擬せられたのが吉田磯吉であった。
一漁村にすぎなかった若松が
石炭の積出港として本格的に指定されると同時に、
街は俄然殷賑を極め、
新しい商店、会社が出来た。
是につれて
大工、左官と無数の土方人足が入り込んできた、
此中には不逞の徒の多かったことは当然であって、
これらは商店や会社に難題を吹きかけて金品を強要し、
営業にも差支えることがあったので、
町の長老や会社、商店主は是を防衛しなければ、
若松の発展を阻害されると言う声が次第に高くなり、
是に当り得るものは翁(吉田磯吉)の外には無いということの一致して、
遂に翁に白羽の矢が立った次第であった。
翁は此の懇請に対し、
若松の発展を助け、
正しい人々を護るべく身をもって是に当らうと決心した。
やくざは戦争時においても軍の手ではまかないきれない仕事が派生した。
土建系の親分は軍関係の土木工業を、
遊郭系の親分は大陸での将兵「慰安施設」を、
興行系の親分は、芸能人を引きつれての将兵慰問を、
廃品回収系の親分は、軍需物資生産に必要な金属、繊維原料収集を、
港湾荷役、輸送系の親分は兵站をというように、
親分衆はそれぞれの”専門”に見あった分野で軍に協力したのであった。
これらの仕事は、
テーブル学問しか知らない温室育ちのエリートにできるものではない。
白刃の下をくぐりぬけてきた「度胸」と
苦渋労働の体験をもつ者でなければ到底できない仕事である。
また、
日ごろ「法度破り」のバクチを稼業としている親分連には、
日陰者意識が強く、
その反動として「ことあれば国のために役ちたい」という心情があった。
戦後ヤクザ史の特徴は、
じつに在日朝鮮人や台湾省民中心のグレン隊が登場したところにある。
このうち台湾省民系のグレン隊は、
もともと在日人口が少なかったところから、
まもなく消滅する。
八・一五の日本帝国主義の敗北によって、
在日朝鮮人は、
長い被支配から解放された。
彼らは朝鮮人連盟を結成し、自立の旗を高くかかげる。
「飢え」をしのぐために彼らは、
大都市周辺の公有地を占拠し、
ブラックマーケットや密造酒集落を形成していく。
しかし、
そこは、
日本のヤクザ組織が管理するテリトリーであった。
さらにそこへ新興グレン隊が割り込んできた。
警察もうるさくつきまとった。
警察も、既存・新興のヤクザ組織も、いっさいが彼らの「敵」であった。
当時、
大都市にあった朝鮮人連盟を名乗る団体の一部は、
短銃、日本刀で武装しており、
完全にヤクザの機能をそなえていた。
彼らは、
ヤクザ以上に日本の警察を憎悪した。
この時代に袋叩きにあった警官は数知れない。
トラックで集団強盗を働いたグループもあった。
GHQが政府の上に君臨したそのころ、
警察は「連合国待遇」の在日朝鮮人や台湾省民に対し無力だった。
「露店がデパートを制した」と、新聞は報じた。
その露店とはブラックマーケットであり、
そこを支配したのは、
ヤクザと在日朝鮮人、台湾省民であった。
明確に
ヤクザと規定できる朝鮮人主体の組織が登場するのは、
一九五五年に入ってからである。
それまで彼等は、
既存のヤクザ組織の傘下に入るか、
盛り場の片隅に細々と小グループを形成していた。
柳川組が”組”としての代紋をかかげたのも五五年の半ばである。
暴力団の現実的意味
撲滅キャンペーンの背景
暴力団は、
いま警察はもとより、
国家権力の全行使期間および、
マスコミ、
市民、
有権者、
さらに野党勢力を含む全市民社会から、
厳しい追及を受けている。
暴力団はこれまで、
資本家や小所有者、労働者の一部を被害者とすることはあっても、
資本主義体制そのものを崩壊に導くことはない――とされてきた。
したがって権力側の暴力団対策も、
違法行為の摘発のみに限られ、
逆に暴力団を体制維持のために利用し、
ある場合には育成さえしようとした。
それは、
暴力団が一般にいう反社会的行為のほかに、
スト破り、
社会主義運動や労働運動指導者へのテロ・脅迫、
非武装市民のデモ隊への殴り込みなどの階級的犯罪、
また第二次大戦中における軍部の苦汁作業、特務工作面での利用などを
ふりかえれば明らかである。
しかし、
一九六四年(昭和三十九年)以後、
権力の暴力団対策は根底的に変わった。
単に違法行為を摘発するにとどまらず、
暴力団関係者の経営する合法的企業や暴力団の伝統的儀式にも
追及の手をひろげ、
組織そのものを解散、崩壊へ追い込む方向を打ち出したのである。
これは日本の警察史上はじまって以来の「革命的なできごと」である。
暴力団が
弱小庶民に利益よりも損害をもたらすことのほうが多い存在である以上、
権力による暴力団つぶしは歓迎すべきことである。
しかしながら、
かつて暴力団を育成しようとさえした権力が、
一転して徹底壊滅に乗り出した背景については、
考察しておく必要がある。
暴力団はもはや
「階級底部の腐敗物」
という単純な規定では割り切れない存在となっているのだ。
それは、
暴力団が従来の寄生的雑業から本格的な企業経営に進出し、
独占資本との間に摩擦を生じはじめたことや、
逆に独占資本が暴力団の職域を侵食しはじめたことの上に現われている。
その端的な例は、
ガードマン会社の登場である。
私設警備
――用心棒は、
伝統的に暴力団の営業目録にあった仕事だが、
ガードマン会社は労働大臣認可のビジネスとして、
これを企業化してしまった。
産業の多様化は、
暴力団の職域をも利潤追求の対象に組み入れたわけである。
暴力団の興行、
港湾からの追放も、
結果からいえば、
独占資本が
これまで果たし得なかった興行界と港湾関連事業の全面支配への
布石であった。
これによって
暴力団が命を張って築きあげた興行界と港湾の利権は、
一夜にして吹っとんでしまった。
独占資本の近代化の過程は、
過酷な収奪の最前線を代理人に請け負わせた歴史である。
面倒で紛争がつきものの地方興行や港湾荷役を、
暴力団に信託統治させてきたのもそのためであった。
暴力団はその信頼に、
果敢なスト破りやそれに類する行動でこたえ、
独占資本に「貨し」をつくった。
そして彼らの事業は独占資本の保護のもとで、
投資をはるかに上まわる安定した利潤を生む企業に成長した。
彼らは、
それらの企業を発展させるために、
独占資本に従属することをやめ、
大胆にも「要求」をつきつけるようになった。
彼らは、
かつての「貸し」を過信して、
独占資本が国家権力を牛耳っていることを忘れてしまったのである。
近代的な労務管理のもとでは、野蛮なスト破りの必要もない。
独占資本が暴力団を保護する理由はなくなったわけで、
そこに暴力団壊滅キャンペーンが開始された下地がある。
資本の論理
これまで、体制側は、暴力団をつぎの二つの場合に利用してきた。
第一は政治的な「使い方」である。
この場合、
体制側の「警備力」では、
体制を維持するのに不安があるときと、
体制に直属する機動隊等に実カ行使をさせる口実をつくる
「挑発」に利用する場合の二つに分かれる。
前者に擬せられるものには、
共産党の軍事路線下での「二十万人の反共抜刀隊計画」があり、
六〇年安保や左翼系大集会、政治ストに対する右翼を偽装した
暴力団の挑発行為などは後者に人る。
第二は、経済行為上の利用だ。
これも労働争議や経済構造の前近代性からくる企業間紛争、内紛等の場合と、
浮動労働型産業(土木、建設、荷役、興行)の下請け(人夫寄せ)部分
での利用の二つがある。
暴力団が反体制側の「敵」となるのは、
主として、
第一の部分である。
だが、
いまでは体制側は、
もはや政治的にも経済的にも暴力団を利用する
「必要性」がなくなったのである。
理由は簡単だ。
まず、
新左翼の台頭を契機に、
①
機動隊の大幅な拡充と、自衛隊の装備、組織の充実、
これらを支える情報収集機関
(内閣調査室、公安調査庁とその下請け機関)、
検察部門が再編強化されたこと、
②
共産党の「議会内政党化」と、総評、同盟、
中立労連等の労組連合組織の「体制内組織化」の進行、
③
新左翼内のセクト間抗争の深化と組織上のゆきづまり、
④
新・旧左翼に対する新右翼の台頭などが、
政治上の「暴力団無用化」の条件としてあげられよう。
反面、暴力団は、
池田内閣以来の経済の高度成長政策のもとで肥大し、
大組織が小組織を系列化することによって、
強固な基盤をつくりあげ、
独占資本が手を触れようとはしない浮動労働型産業の下請け分野を、
ほぼ完全に制圧した。
たとえば、
山口組は神戸港の船内荷役作業を独占し、
そこで働く労働者を組織して労組をつくり、
労組の要求をテコとして、
独占資本に荷役料率のアップを求めてこれを「勝ちとる」ほどの存在となった。
この新「労使連合」――ヤクザ社会主義ともいうべき神戸港方式は、
港湾を拠点とする暴力団が競って採用するところとなり、
独占資本にとって暴力団は総評以上に「利潤を食いあらす」存在へと変貌した。
独占資本が
かつて暴力団に「期待」したのは、
スト破りや争議指導者へのテロであった。
が、
日経連の指導によって近代的な労務管理が確立されてからは、
この分野での暴力団の活用は無用となり、
もっぱら浮動労働型産業の下請け
――すなわち、人夫寄せ(手配師)を「まかせる」ていどになった
(本土とは経済テンポの異なる沖縄
および中小企業段階での暴力団の「活用」例はなお若干ある)。
だが、
暴力団は「人夫寄せ」のみに甘んじてはおらず、
やがて二次下請けへ、
さらに一次下請けへと進出し、
ついに独占資本と「対等」に交渉する「ヤクザ複合体」に成長し、
さらに独占資本と
「わたりあう姿勢」さえ、見せはじめたのである。
独占資本にとって
暴力団の「価値」とは、
「利潤を追求する過程での協力者」としてのみある。
「協力者」が「非協力者」――「敵」へと変貌するとき、
独占資本が国家権力を動かして、
「鉄槌」をふりおろすのは理の当然である。
かくて、
暴力団は
「体制側の暴力装置」――「アウトロー機動隊」としての
政治的機能を失う一方、
浮動労働型産業分野で果たしてきた「人夫寄せ」(手配師)の役割も、
大手建設会社三五社と全国中小企業建設業協会、
日本鳶工業連合会、
日本塗装工業会、
日本左官業組合連合会などの一三の職種別団体、
その他建設関係七団体でつくっている日本建設業団体連合会の
「建設労働者確保」をうたい文句とした
「建設労働力センター」にとって代わられつつあるとともに、
山谷、釜ケ崎地域の浮動労働者の団結による労働組合の結成
などによって「先細り」――「消滅」の運命にある。
右翼について
資本主義と共産主義が対立していた頃は、
対共産主義の橋頭堡として右翼が企業に重宝されていたが、
共産主義が崩壊して、
右翼の存在意義が薄れ、
企業からの政治献金が滞るようになった。
また、
総会屋としての活動も
日本進出を目論むアメリカにとっては邪魔な存在となり、
右翼団体の主な資金源である、
企業への新聞などの定期購読の販売も商法改正により困難になった。
そこで右翼の活動としては
手弁当で草の根的な運動へと変わりつつある。
街宣車での活動も騒音防止条例などで取り締まりが厳しくなった。
かつては右翼、企業、警察が仲良く曖昧にやっていたが、
警察の天下り先としての企業という関係が成り立つようになり、
邪魔になった右翼が隅に追いやられている。
右翼と暴力団の関係も急速に「断絶」へ向かいつつある。
それは体制側が
「アウトロー機動隊」を必要としなくなった当然の結果であり、
右翼をも本来的な意味での、
思想・政治運動に精進することによってしか存在できなくさせるであろう。
右翼を止揚するかたちで台頭してきた新右翼の活発な活動が、
それに拍車をかけている。
ともかく第一次頂上作戦以後、
暴力団は、「完全なアウトロー」としてのみ存在する。
暴力団を生みだす土壌とこれを代用する資金的基盤があり、
かれらが社会復帰する道がほとんど遮断されているという状況がある以上、
彼らはどこにも行きようがない。
どこにも行きようがない暴力団を権力が追いつめるとき、
彼らは欧米におけるイタリー系移民の・ギャング組織マフィアのごとく、
秘密結社化するか、
反権力武闘集団への道をたどるかのいずれかしかない。
しかしこれは究極的な到達点であって、
そこに至る道程には紆余曲折が当然ある。
現実の吠況からするならば、
暴力団はマフィア的な組織に変質していく可能性が強い。
政治権力はつねに良風美俗の保護を口実に、
暴力・ポルノ摘発などを
反権力・反体制運動への弾庄の手がかりとしてきたことを明記して
この章を終わる。
↑
(以上矢印まで「やくざと日本人 猪野健治」より)