俺論

・贖罪

自分は子供の時分、
ヤンキーみたいなタイプの不良ではありませんでしたが、
世間様からすれば、不良品の部類だったと思います。

それを一つの個性として肯定的に捉え、
悪気なく無邪気に好き勝手生きて来てしまい、
今、振り返れば、
多くの人に沢山ご迷惑をかけてしまったなと思っています。

そんな自分が今更ながら、
まともに生きようとしても、
自分の都合良く、まともに生かせてくれるはずがありません。

定職にも就かず、結婚も出来てきていないのは当然の報いだと思います。

好き勝手生きてきて、
世間一般の人並みの幸せが都合良く訪れるはずがありません。

人間の運の量が平等にあるのなら、
自分は運を使いきってしまったのではないかと思うくらい、
自由に生きてきました。

そんな人間が罪滅ぼしで、
これからの人生を生きるとして、
どう生きるか。

死ぬか、懺悔をしながら生きるか。

死なないで懺悔しながら生きるとして、
感情を押し殺して生きれる程、自分は出来た人間ではないでしょうし、
仮に出来たとしても、
心空ろにして無機質に生きる事が、
自分にとってベストな贖罪となるのだろうか。

自分にしか出来ない贖罪というのがあるのでは。

好きに自由に生きてきた自分は、
おそらくきっと、まともな死に方をしないと思います。

これからの人生、
今までご迷惑かけた分、社会貢献というか世の中のためになればと、
時に間違う事、過ちを犯す事もあるかもしれませんが、
それでも日々、自分なりの方法で贖罪としての人生、生きているとは思います。

その1つとして、
日本社会を、世の中を、自分なりの切り口で、
今より少しでも良く出来ればというのがあります。

その目的のための手段として、政治家に立候補しているんだと思います。

何も考えず、ただただ反省して生きる。
そんなのは感傷に浸って自分を慰めているに過ぎません。
反省して生きるだけでは能がありません。

反省してる態度を見せる事が反省というわけではありません。

自分の頭で考えて、
自分にとって、
どうする事が反省になるかを考え、
実行する事が贖罪なんだと思います。

だから、贖罪のやり方なんて、
人それぞれ千差万別で、

まともな人間じゃ、やらないだろうやり方、
自分みたいな非常識な人間じゃないと出来ないやり方があると思いますので、
辛く険しくとも、
それがベストな贖罪だとするならば、
わずかながらでも何か社会のお役に立てれば幸いと存じます。

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