俺論

・宗教について

僕は
基本的に
無宗教ですが、
世の中には
たくさんの宗教があります。

僕の中での宗教の定義は、
世の中を明るくし、
この世の苦しみを緩和して
幸せに生きるために
導くものといった感じに、認識しております。

僕は
ホントに
宗教が
なんやかんやって知らないのですが、
単に苦しい、辛いから宗教を求め、
楽になったらもう必要ないです、で、またツラくなったら
宗教に助けてもらえばいいんじゃないかと思っています。

こんなことを言うと、
なんだ現金な考えの奴だと思われるかもしれません。

でも、すがる相手は神様です。

すがる自分は
死んでしまいたいくらい弱い自分です。

神様相手なんだから
打算的に考えて
ようやく釣り合いがとれます。

神様は
そんな弱くて駄目な自分さえも許してくれます。

お金なんていりません。

生きる元気だけ
たくさんもらいましょう。

そして、
心の中で
たまには感謝しましょう。

神様は、
なんだアイツは現金な奴だなんて悪態つきません。

しかし
世の中を見ると
実情は違うようにみえます。

ウチの近所に、
名前もよく知らないのですが宗教の施設があります。

数年前から建物が新しくなり、
そこの周りに
その宗教の新たな建物が続々建設され始め、
週末にはたくさんの信者らしき人達が参拝します。

その勢力をアピールするが如く
新聞を発行している宗教もあります。

大きな事件を起こし、
世間を震撼させた宗教もあります。

禅をするために、
無料で寺を開放し指導しているところもあります。

感謝の気持ちだけで
護摩焚きさせてくれるところもあります。

色々ありますが、
神様は私たちから著しいほどのお金や何かを
もらおうなんて考えは、きっとありません。

僕は
宗教に取って代わるものさえあれば、
この世に宗教なんてなくても生きていけると思っています。

宗教に取って代わるものとは何か、
それは恋人であったり、
家族であったり、
友人であったり、
近所の人であったり、
先生であったり、
先輩、後輩であったり、
仕事や趣味の仲間であったり、
いわゆる地域社会、コミュニティだと思っています。

何か困ったことがあったら、
家族や友達に相談する、
お隣さんに用を頼むだとか、
そういう類の緊密性があれば、
宗教にすがる必要性はないと思います。

また、
それが日本の地域社会の良い文化でもあったと思います。

もっとお節介になってもいいと思うんです。
最近の日本をみていると。

僕も
人に節介をやくことができるくらい
余裕をもっと持たなければと
日々慎ましやかに頑張ってはいます。

まぁ最終的には、
宗教に頼っても
家族や友人、恋人に頼っても、
自分で考え人生を切り開いていかなければなりません。

自分の足で生きるために、
宗教なんかが存在するわけですから。

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