輝樹教の教え

・神様仏様輝樹様より、まずは自分に縋りなさい。自分を信じなさい。

クレイジージャーニー見て、
阿闍梨様ってスゴいな、
こんな人も居るんだ、
ありがたや~
ありがたや~って思ったんだよ。

で、
そのクレイジージャーニー出てた阿闍梨様じゃなくて、
酒井雄哉さんって阿闍梨様の「一日一生」という本を読んだんだよ。

読んだというか、
かいつまんで、パラパラめくって見た程度なんだけど。

文体の感じとか内容見てたら、
なんだか、こいつ、
ろくなやつじゃなさそうだな。って思ってさ、
やんちゃというかね、
で、読んでたら阿闍梨様ご自身も
昔は悪かったみたいな事を書いてて、
なーんだ、と、その時、ハッとしたね。

クレイジージャーニー見て、
阿闍梨様になるようなお方は、
きっと生まれた時から
善人でスゴい方なのかなと勝手に思ってしまったけど、
別に、そうという訳じゃないんだ、と。

本、まだ全部読んでないから知らんけど、
酒井さんはきっと、昔悪かったけど、
改心して今は阿闍梨様です。って事なんだろう。

そう思うと俺と一緒のようなもんじゃん、
と思ったわ。阿闍梨様に失礼だけどさ。

俺と一緒というか、
阿闍梨様も俺もこれを読んでるあなたも同じ、一緒なんだよ。
同じ人間なんだよ、と。

だから、阿闍梨様だからスゴいとか、
オリンピック金メダリストだからスゴいとか、
ノーベル賞受賞者だからスゴいとか、
社長だからスゴいとか、
東大生だからスゴいとか、
芸能人だからスゴいとか、
そういうのって色々あるけれども、
誰だって、人からリスペクトされるような人間になれるんだよ、という事。

今、自分がダメなやつ悪いやつだとしても、
自分の心がけ次第、改心次第で、
あなたも阿闍梨様のような人になれるんだよ、と。

神様でも仏様でもアイドルでも恋人でも何でも、何かにすがるんじゃなくて、
まずは自分自身を信じて頑張りなさい。と俺は思う。

自分自身が
信じたものを信じる事も否定しませんが、
まずは自分自身を信じて頑張りなさい。と。

日々、毎日、積み重ねる事で、
あなたも阿闍梨様のような人間になれるのだから。

別に阿闍梨様みたいに
千日回峰行のような、
人から評価されるような何かを成し遂げなくても構わないのです。

人からの評価なんて気にしなくていいのです。

阿闍梨様は
名声を得たいがために千日回峰行をやったのでしょうか。

私はそうは思いません。

評価や名声などは副産物として後から付いてきたものです。

千日回峰行をやった結果、たまたま名声が付いてきただけなのです。

千日回峰行をやったと世間が知らなければ、
世間からすれば、ただの爺さんですよ。

世間の評価なんて、そんなものなのです。

その程度の評価なんて気にする事はありません。
自分自身が自分を見ていればいいのですから。

自分自身が
自分の中の千日回峰行を淡々とやればいいのです。

その結果として、
評価される事もあるかもしれないし、ないかもしれません。
別に、気にする必要はありません。
日々、自分のすべき事をすればいいだけです。

たぶん、人は何かに
縋って生きていたいんだろうなって思うんです。

(糸を追うで、すがるって。また上手い事、考えましたな、先人も。)

でも自分自身だって頑張ればスゴいんだぜ。って、

自信を持ってもらいたいなぁ。と思うんですね、

まずは、自分に縋りな、と。

何かを追いかけるのではなく、自分自身を追いなさい、と。

あとね、
「ちょっと読んで、それでわかった気になるな。」
と思われるのも嫌なので、
全部、読みました。「一日一生。」

てか、
読んでて思い出しましたが、
そうえば、これ、俺、何年か前に、
全部、読んだわー、確か、と。

で、そん時は、
阿闍梨ってなんだ?くらいで、
きっと偉い坊さんくらいなんだろ。で、
有り難みもなく読んでみたんですけど、
結局、内容も、あんま大した事ないな。って感じで、
だから、俺も、全部読んだ事、忘れてたんだろうけど。

で、
数年を経て、
クレイジージャーニーを見て、
たまたま、
阿闍梨様って、凄いんだ。ってのを知って、
なんとなく、
(全部読んだ事は忘れてた。)
この本を思い出して、
パラパラと見てたら、
阿闍梨様、凄い人だろうから、
どんな聖人君子かなと思てたら、
あれ?この坊さん、そんな出来た人間じゃないな、と。

あれあれ?
俺、前にも、
おんなじようなこと思ったよな、、、、
あー、確か、
これ、1回全部読んだっけな、というのを思い出して来まして、、、

そこで思ったのが、
阿闍梨様の凄さを知らないで読んでも、
阿闍梨様の凄さを知って読んでも、
俺の答え結論感想は同じだったという事に、
やっぱ俺、スゲえって逆に感動したわ、自分に。

坊さんだろうが、
阿闍梨様だろうが、
俺って、
ぶれてないんだな、
自分を持ってるんだな、
バイアスに惑わされず
結論を導き出せる男なんだなぁ~って。

で、自分に感心しながら、
改めて全部読んでみるとね、
やっぱ、
阿闍梨様の書いてる内容より、
俺が書く文章の方がいいな。と俺は正直思ったよ。
中身が薄いな、と。
ただ、阿闍梨様が体験した事を、ありのまま綴ってるだけじゃんか。と。
薄いというか、俺も日常の俺の体験をありのまま、綴ってるんだけど、
それと、同じようなもんじゃんか。と。

阿闍梨様とか戦争とか、
そういうバイアスがあるから、
なるほどー。とか、入りやすいかもしんないけど、
俺から、したら、
なんだ、阿闍梨様も、おんなじ人間じゃないか。と思ったし、
この人、出来が悪かったから、
流れ流れて、阿闍梨様になっただけ、じゃんか。と。
この人、けっこうなダメ人間だった感じするし。
たぶん、出来としては、俺の方が段違いで、イイ。

けど、この方は、
何の因果か、
坊主になって、偉業を成し、大阿闍梨になった訳です。

あの歳で2度の千日回峰行をやったというのは本当に尊敬に値しますが、

元々、阿闍梨様になろうとしていた訳ではないのです。

たまたま、坊主の道に入ってしまっただけなのです。

最初から聖人君子というわけじゃないんです。

良くも悪くも、誰だって、人間です。

何も阿闍梨様をディスってる訳では決してありませんが、
俺が言いたいのは、
あの人、凄いな、自分とはまるで違う優れた人なんだろうなと
勝手に思い込まず、
自分に自信を持ち、誰かに縋るのではなく、自分に縋れという事。

俺に、その事を気付かせてくれた阿闍梨様に感謝です。

阿闍梨様にもかかわらず、
気取らずありのままの姿を文章にして頂いたおかげです。

以前、本を読み、
数年越しに、また同じ本を読み、
ここに、こうして綴っている事の巡り合わせに感慨深いものを感じました。

運命というのは不思議なものです。

なぜ、自分が、今、この文章を綴っているのかも、よくわかりません。

きっと、物事には、それなりの意味があるのでしょう。

合掌。


 

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